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源氏物語を読みたい80代母のために 40 (源氏物語アカデミー2023レポ⑥)

 39をアップしたところでレポ番号の間違いに気づきました。都合三記事ほどズレてましたわ……修正済みです。大変失礼いたしました。とほほほ。

 二日目・10/21(土)午後からの講義は、
「紫式部と『源氏物語』」高木和子氏。

この垂れ幕結構大きいんですよ。凄いですよね文字書くこと自体

 去年の講義でも半端ない源氏愛を感じさせてくださった高木先生、今年もレジメは10頁で字細かめです(笑)。時間足りるのだろうか。きっと足りない。
(此方はテーマの「殿舎」からは外れているが、特別講演ということで朧谷先生のOK出たとのこと)
 早速レジメ&メモいきます。※は私見。

〇源氏物語の作者、紫式部
紫式部という作者と物語を結びつけての研究は、以前はやっていなかった。作者の意図や背景は考えない、個としての紫式部は?と考えること自体禁じ手だった。
 平安時代の物語で、作者が判明しているものは少ない。特に紫式部のように「物語と日記と歌集」が揃って残っているのは珍しい。
※やっぱりかなり意図的なものを感じる。紫式部自身、長く残すため/残しても支障ないものを厳選するのに細心の注意を払ったんじゃないのかなあ。運もあるとは思うけど。
①「紫式部日記」彰子の子・敦成親王の五十日の祝い
「あなかしこ、このわたりに、わかむらさきやさぶらふ」
 と藤原公任が声をかけた場面:
わかむらさきは「わがむらさき」ではないかという説もあり、そちらだとしたら「僕の可愛い紫ちゃん」というようなニュアンス。
※ただの酔っぱらい(笑)そりゃ塩対応されるわ。
②「源氏物語・若紫巻」
巻の名は誰がつけたのか→作者本人/後世にそう呼ばれるようになった、の二つの説あり。
①での「わかむらさき」はこの巻から引いているが、実は物語中どこにも「わかむらさき」という言葉は出てこない。
 若紫の姫とその祖母の会話を垣間見た後の光源氏の歌:
 手に摘みていつしかも見むのねにかよひける野辺の若草
③「伊勢物語・初段」
妹に懸想する兄の歌:
 春日野の若むらさきのすりごろもしのぶの乱れかぎりしられず
→当時の読者なら「紫」「若草」とくれば此方の歌を連想したと考えられる。(近親相姦めいた連想:光源氏は祖母の死後若紫の親代わりとなり、きょうだいのように過ごすことになる)
④「更級日記」上京まもなく
 紫のゆかりを見て、つづきの見まほしくおぼゆれど……
→源氏物語への強い憧れ?「若紫」の続きを、と望む意?
 研究者にとっては「紫のゆかり」は
 桐壺→藤壺→紫上と続く血縁の系譜である。

〇物語を書き写す
⑤「紫式部日記」御冊子づくり
 紫式部が「編集者」「統括者」として制作しているところに道長が来て、ぶつぶつ文句をいいつつも道具等も全て揃えた上、推敲前の原稿を持ち去ってしまった。
⑥「紫式部日記」日本紀の御局
一条帝が源氏物語を読み「この人はきっと日本紀を読んでいるだろう。たいへん才のある人だね」と言ったことから「日本紀の御局」とあだ名をつけられて嫌、といいつつ、男きょうだいより漢籍の覚えがいいので父に「お前が男だったら」と嘆かれた、というエピソードも入れる。
→自身の有能をガッツリアピールしているわけで、よく言われている「陰気で内気」では全くないのでは?
⑦「源氏物語・蛍巻」
・長雨の頃、六条院の女君たちの間で物語を写し冊子を作るのが流行。やってきた光源氏が、
「(物語が好きだなんて)女は人に騙されたくて生まれて来たの?」
などと揶揄しつつも、
「日本紀なんて物事の一端しか書いていない。物語こそ真実を突いてるよね」
→道長の言動となんとなくシンクロしている。

〇漢文の素養
紫式部は自身の学才にプライドを持ち自負もあるが、物語中では自虐的・戯画的に描きがち。
⑧「紫式部日記」紫式部の感慨
亡夫・宣孝の残した本もあり、忘れていた本もある。暇にあかせて眺めていると、女房達に「女はそんな風では幸せにならない」と言われた。
⑨「源氏物語・帚木巻」雨夜の品定め
久しぶりに来た男に、風邪をひいてニンニクの薬をのんだからと古歌を踏まえて素早く歌を返した女、のエピソードに対し「そんな女いるわけないだろ」と皆が笑いものにした→自分自身の自虐エピソードか?
⑩「源氏物語・少女巻」
(夕霧を大学寮に入れる理由を大宮に語る中で)漢才があってこそ、和の実践力や政治力は活きると光源氏に熱弁させている。
一方で、教養あるはずの博士や学生たちの変人っぷりが面白おかしく描かれている。→紫式部自身の屈折した思いか

〇枝を差し出す道長
⑪「紫式部日記」女郎花の枝を差し出す
道長がやってきて随身に女郎花の枝を折らせ几帳の上から差し入れた
→枝を贈る=歌を詠むことなので、返歌せねばならない。
朝顔=早朝のことで化粧もしていないスッピン、早く返事をしないとと詠んだ紫式部の歌:
 をみなへしさかりの色を見るからに露のわきける身こそ知らるれ
→自分を卑下する、へりくだる内容……とはいえ上下関係にある人間同士のお約束のようなもの
⑫「紫式部集」に⑪で詠まれた二首(紫式部と道長の歌)が掲載されている
⑬「源氏物語・夕顔巻」
光源氏が六条御息所のもとから出立する際、見送りに出た中将の君に
「咲く花にうつるてふ名はつつめども折らで過ぎうきけさの朝顔
 いかがすべき」
と歌をよみかけ手を捕えた。中将の君は即座に返歌:
「朝霧の晴れ間も待たぬけしきにて花に心をとめぬとぞみる」
→通常は目上から目下に歌を詠みかけたりしないが、あえて常識を破った光源氏に対し「女主への歌」と捉えて代わりに詠んだという体に仕立てた。そういう機転のきく女房を持つ六条御息所すごい、という話。
⑭「源氏物語・賢木巻」
伊勢に去る前の六条御息所に会いに来た光源氏、榊を折って差し出す
→こちらも格上の女への行動ではない

〇道長との交渉
⑮「紫式部日記」道長との贈答
・道長:梅の下に敷かれた紙に
「すき(酸き・好き)ものと名にし立てれば見る人の折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ」
 と詠んだものに紫式部:
「人にまだ折られぬものをたれかこのすきものぞとは口ならしけむ
 めざましう」
→「めざましう」は普通上から下への言葉。強気な言い方。
・渡殿に寝ていると、戸を叩く音がする。怖かったので音一つ立てず夜明かししたその早朝、道長:
「夜もすがら水鶏くいなよりけになくなくぞまきの戸ぐちにたたきわびつる」→戸を叩くような鳴き声(交尾期!)
紫式部の返歌:
「ただならじと(戸)ばかりたたく水鶏ゆゑあけてはいかにくやしからまし」
→あけなくてよかった、あけたらどんなに後悔したことでしょう、とは訪問してくる男に対して女がとる定番のいなし方
⑯「紫式部集」
小少将の君と水鶏がらみの歌を詠み合う
⑰「源氏物語・澪標巻」
花散里と光源氏の歌のやりとりで「水鶏」「たたく」が出てくる
※紫式部、水鶏ネタがお気に入りか?

〇盛儀を観る眼
⑱「紫式部日記」中宮彰子の若宮の誕生
⑲「源氏物語・若菜上巻」明石女御(光源氏の娘)の出産
⑳「紫式部日記」若宮の産養の様子
㉑「源氏物語・若菜上」明石女御の子の産養の様子
㉒「紫式部日記」土御門邸行幸
㉓「紫式部日記」舟遊び
㉔「源氏物語・胡蝶巻」春の六条院での舟遊び
→いずれも共通するところは多く見いだせるが、単純にそのままというわけではない。

〇共通する歌ことば
㉕「紫式部集」姉とのやりとり
→光源氏の片違え先での、空蝉と軒端の荻を思わせる
㉖「源氏物語・帚木巻」
→「朝顔」の歌
㉗「紫式部集」
→霜こほりとぢたるころの……
㉘「源氏物語・朝顔巻」
→こほりとぢ石間の水は……
㉙「紫式部集」筑紫からの文
→松浦なる鏡の神や
㉚「源氏物語・玉鬘巻」
玉鬘に懸想する大夫監からの歌
→君にもし心たがはば松浦なる鏡の神をかけて誓はむ

〇「心の鬼」の意識
→良心の呵責、疑心暗鬼
紫式部の認識が、この時代の人としては現代的。
㉛「紫式部集」
(物の怪がついた女の背後に鬼になった亡き妻、それを調伏しようとしている法師、といった絵について)
 亡き人にかごとをかけてわづらふもおのが心の鬼にやはあらむ
(亡き人に罪を被せてあれこれ思い悩むのは、ひとえに夫の心に原因があるのではないの?)
 ことわりや君が心の闇なれば鬼の影とはしるく見ゆらむ
(ごもっともですわ。貴女のお心が闇だからこそ鬼の姿がはっきり見えるのでしょう)
㉜「源氏物語・葵巻」
(葵上が亡くなった後お悔やみの文を寄越した六条御息所に、光源氏が出した返事に対し)
ほのめかしたまへる気色を心の鬼にしるく見たまひて、さればよと思すもいみじ。
→まさか自分がと思っていたが、やはり……という意
※光源氏にまず「心の鬼」(六条御息所への後ろめたさ、罪悪感)があり、それ故に葵上のもとに現れた物の怪を彼女だと思った。六条御息所は車争いでの屈辱と憎しみが忘れられず、夢の中で打擲した女を葵上だと思った。二人それぞれの「心の鬼」がここで合致して、辻褄が合ってしまった瞬間じゃないだろうか。個人的には鳥肌が立つ程素晴らしい場面だと思う!

〇「身」の意識
㉝㉞「紫式部集」身、思、が多い
→身と心の相克、心身は一体で切れないが、一方で離れていくものでもある㉟「源氏物語・葵巻」
六条御息所が世間の噂に悩まされ、心身の状態を崩している辺り。「思」「身」が大量に使われている。
㊱「源氏物語・澪標巻」
住吉詣でで光源氏の一行と行き会った明石の君が、圧倒的な身分の違いを見せつけられて嘆く場面
→身のほど口惜しうおぼゆ……何の罪深き身にて、心にかけておぼつかなう思ひきこえつつ……思いつづくるに

〇清少納言への対抗心
㊲「紫式部日記」清少納言評
したり顔にいみじうはべりける人
㊳「源氏物語・朝顔巻」
六条院での雪遊び場面:
光源氏の言葉「冬の夜が興醒め(=すさまじきもの)だと誰が言った?心浅いことよ」
→「師走の月」と「老女の化粧」をすさまじきものと評した清少納言(写本により内容相違)への批判

〇「日記」と「歌集」と「物語」、各々の似ている箇所を探すことは可能であった。当時の他の物語や日記、歌集を連想させる部分もある。
・本人が「確かに自分である」という証拠を残していたのではないか。
・本人が「選んで残した」
・「道長が後世に紫式部の名が残るような環境を作った」
のではないか。
※すごく納得がいく。ここまでしっかり残ったのは、多くのファンがついてどんどん広がったことも大きいが、時の権力者が全面バックアップしていたことが第一だと思う。紫式部自身もそういう意識があっての選別をしていた気がします。思っていた以上に二人の繋がりは強いのかも。単なる男女関係云々という問題ではなく。

 以上、みっちみちの内容だが最後まで辿り着いた!お疲れ様でっす!

 さてここで予習本のご紹介:
「源氏物語 煌めくことばの世界Ⅱ」※図書館で借りました。

 こちらは原岡文子氏・川添房江氏を筆頭に女性研究者37人の論文集で、一日目の栗本先生、二日目午前の山本先生、そして高木和子先生三人全員が入っているというお得セットです。例によって斜め読みしかできませんでしたが、高木先生の仰っていた「源氏物語そのものの研究から、紫式部という人物や史実との関連の研究への変遷」が実感できる本でした。

 さて今日はもう講義は終了、あとは「うたを詠む」観覧と宴席だあ!
 母と私、速攻部屋に戻って荷物を置き、チョコ食べてお茶飲んでトイレ済ませ一休みしてから、悠々とホテル前の待ち合わせ場所へGO。
 ラク!!!(何回目)
「別についていかなくてもわかるけどね」
 というバリバリ地元民・母とともに、何もかもウロ覚えな娘はヘラヘラと歩くのでした。まさかあんなことが待っているとは知らず(←思わせぶり)。
<つづく>

「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。