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心の環境を慈しむ~平成の終わりに寄せて~

平成のはじまりは
私は歌を歌いたい理由だけで
音楽の学校に居た17歳。

理想と現実と
10代の感受性にまかせて
日々を送っていたことを
懐かしく思う。

この時に思っていたことは
今も私の中に在って
そのひとつは

「世界は自分の呼吸と音で出来ている」

と、いうことだ。

バイクレースの世界に触れ、
釣りの世界に触れ、
いまのパートナーに出会った19歳
学びと同時に「働く」が始まった20歳。

今日の日までの
年齢という「ナンバー」を眺めていると

さまざまな形で
社会にはまろうとしたり
それが無理で破壊を起こしたり
新たな側面からの再生が起こったり。

平和を望む時代でも
地球のどこかで血を流す争いは止まらず
それはいま住む国のなかでも
心が裂けるような出来事は存在した。

震災もあって、自分の声を失って
クリスタルボウルや三昧琴や
音を通して多くの方に会い

また自分の音を求めて
いまの自分の身体に在る音を聴き続け

昨日のよる、なんといえばいいだろうか
ここ数日に在ったあたたかい出来事に触れ
しずかに私のなかから歌がよみがえってきた。

そう。これが私だった。

あたたかいことが大好きな私を思い出した。

何にも当てはまらない「私」は私でいいことを。

ずっとこの平成も

迷いながら生きている。
選びながら生きている。

最大公約数のような一部の社会やコロニー
常にジャッジと評価にさらされてきた部分

平成は平成の「愛」の形があって
それに必死に成ろうとする側面もあって

まだこれからも
迷い選ぶことは変わらないけれど

平成最後の日に
記録したいという想いが朝よぎったのは

朝早く目が覚めて
いまこの目の前に在るものが
私しか持つことのない
あたたかなことであったから。

平成のはじまりの自分が
いまの状況をひとつも想像できていないことも

またそれがこれからも同じことなんだよと
あの当時の自分に伝えたい。

ただ、自分が愛した人や世界は
ずっと私のままだよ、と伝えたい。

だれにも何にも当てはまることのない
当てはめることもない、私のままだと。

日々いろんな苦労もあるけれど

目の前に愛する人がいることが
どれほどに自分を感じるのかを。

きっとあの頃の自分は少し尖っていて
まだまだ自己犠牲と劣等感の塊で
いまの私の話をどう受け取れるかは分からないけれど。

自分の誕生日が近づくにつれて、これまで以上に
「心の環境」を尊重して生きたいと
「心の環境」に美しさを置き
「自分の哲学」を尊重して生きたいと

そう願う時間との出会いが多かった。

そのたび、日常の時間を外して
その出会いの温かさを眺めていた。

私の平成は

私の前を走らなきゃならないときもあれば、

私の後を引きずられていくときもあった。

過去や未来を深堀りして
コメント「しなくちゃならない」環境も
誰かの行いを、透過して書か「なきゃならない」ことも

この半年以上は社会に居たことで身体に沁みついていた
行動環境を破壊しつづけた。

行いは自分の中のひとつだから
完全消去とはならない。
破壊というよりは掃除(クリアリング)だ。

掃除、という言葉は、昨年秋にいただいたキーワード。
あのとき頂いたことばはそういう意味かと、いま理解できる。
↓あの時のことばのことはアメブロの
「みんな、幸せになったらいい。」に書いてる。

いま、「心の環境」という言葉を唱えると
前のめりになりそうな自分や、引きずられそうな自分を
ゆっくり、自分の中に戻していくことができる。

4/19の満月を境に
2日後の自分の誕生日へ近づくにつれて

この時間を自分のために与えていた。

そして平成が終わっていく時間のなかで

平成最後に駆け込みで何かしたいかなと考えてみた。

特別何かしたいことはないけれど

平成の最初に在ったであろう、自分らしい何か清々しい気持ちが
蘇っているので、それを眺めて静かに過ごしたいと思った。

平成さいしょにあなたが想像もしなかった大人の世界に

平成最後の私はいるけれど、

平成さいしょのあなたが、今の私の先輩の気がした。

たぶん平成さいしょのあなたは
今も変わらぬ私の「好きなもの」を
純粋に選ぶことができる。

いま大人になって少し残念と思ったのは
何かに影響を受けて、純粋に選んだことに
頭のどこかで理由や言い訳が起こること。

今までの経験値を持ちながらも
もうそれをそのまま使うことの判断も
まだ身体に残っている「社会の癖」のような行動も
私はやめるのだろう。

誕生月(牡牛座月間)になると
必要なものはある?と聴かれるのが増え

長年使いなれたユニボールシグノ0.28mmボールペンの芯とか
日々使ってるA5の方眼MDノートとか
使い続けてるカルディコットンのタオルとか
貸したまま帰ってこない谷川俊太郎詩集「女に」とか
舟越保武「まなざしの向こうに 」に見る聖セシリアとか
朝に灯す小さなキャンドルとか
紫色の袋に入ったバスマティライスとか
一升瓶の日本酒とか
花びらの多い切り花とか
ニシンの缶詰めとか

…色気のない言葉を発してるけれど😄😄

お茶のみながら和やかに笑い
心穏やかに過ごせたらいいと思う
今日このごろ。

 平成を振り返ると、いろんな面がありすぎて
その面から語れば長くなるわけで。

その中で一番おおきなものは
平成の始めに出会い
今も共に生きてるパートナーです。

誰かと生きることすら想像もせず、
誰かと生きることに興味を持たず、
恐らくそういうことは一生縁のないものと

仕訳されてた私のなか。

こんなパンクなアホな私のそばに
まだ居てくれてありがとう。

まだ望みあるならば私はまだ
あなたと生きたいです。

いつか別れが来るまで、私は
あなたと生きたいです。

好きです、と毎日つぶやいても
足りないのは分かってる。

つぶやかずにはいられないほどの気持ちが
自分の冷酷さをほどいていく。

長くひとを愛した平成。
これはもちろん令和も変わらないことを願うよ。

26年前、はじめて贈ってくれた
バースデーリングを今日磨いた。

 お誕生月の牡牛座月間だし。

この気づいたことや
変わらない私の純さを、令和に連れて行きたい。


枕もとのお守りも香りも
4月から5月への切り替え。
大好きなマリアから、スズランの香りへ。

Free Planetエナジーエッセンスが
この切り替わりを救ってくれている。

いつでも「私のはじまり」は在る。
それは毎日、毎時間、毎分、毎秒。

令和は、私の前も後ろもなく、

私のなかで私がひろがればいい。

私の目で見た世界は
愛で満ちて在ることを。

わたしはここからはじまり。

源泉は「わたし」であることを。

自分の歌に生き、

自分の哲学の中に生きることを。

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