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くずし字を学びたい

くずし字と言うべきか、古文書と言うべきか。

大河ドラマ『光る君へ』が始まった。さっそく本郷奏多演じる花山天皇が世間を賑わせているようで、実に様々な観点の感想がXのタイムラインに流れてくる。
かく言う私、大学の卒論は和歌で書いたので、それなりに和歌を勉強していたはずだが、実の所は
まともな知識があまり自分の中に残っていない。途中から和歌への興味をどのように咀嚼したらいいのかが分からなくなり、ほぼやっつけ仕事で卒論を終わらせた。
せっかく『光る君へ』を見ながらも、家族に披露できる知識がなく、とほほ、と言うところだ。

とはいえ、ゼミで2年間中世文学を学んだので、一応最低限の知識はある。はず。
しかし結局、くずし字は読めずじまいだった。
博物館や郷土資料館に行くたびに、かつての人が書いた文字を、文字のままに理解できたらどんなに面白いだろうと思う。そして、どんなに自分の研究が楽だっただろう、とも。
当たり前だが、ゼミで指導してくださった教授は、実にスラスラと古文書を読んだ。その時先生は「くずし字を学ぶ書き込みテキストみたいなのを繰り返したら読めるようになった」と仰っていた。

それから数年、街で一番大きな書店をぶらぶらしていると、ふとその記憶が蘇る。くずし字、やってみたいかも。
歴史の棚に行くと、あるある、背表紙に「くずし字」が含まれた本が、実に三段ほど本棚を埋めている。まさかこんなに供給があるとは思わなかった。
「まずはこれから」「理論でわかる」「頻出」「これがいちばん簡単」……帯には本を推薦する文言が踊っている。やぁ、困った。どれがいいのか分からないぞ。
ここで慌ててAmazonのレビューを漁ってみる。どれも可もなく不可もなく。しかし、よくみてみれば、「くずし字」と謳うものと「古文書」と謳うものの、大きく二種がある。
現実世界の本をパラパラとめくってみると、「御座候」の意味の解説から始まる本だった。候文ということは、広く見積って江戸時代ということか。それは確かに、「候」が1番よく使う漢字だろうから、それが読めれば第1段階クリア、なのだろう。
いやしかし、と思い直す。私は一応中世文学を学んでいた。興味のある分野も、黄表紙だとか洒落本とかよりも、断然明月記や方丈記に興味がある。となれば、候文を勉強するのは遠回りではないだろうか。

あれこれと考えてるうちに、時間ばかりか過ぎていく。そもそも、なぜくずし字をやりたいと思うのか。具体的に読みたい本もないのに?

思考が完全に泥沼に陥ったところで、電車の時間が迫ってきた。強制的にタイムアップとなり、この話はおしまい。

くずし字が身につくかどうかは今後の私次第だが、答え合わせはまず1年後としよう。今年の私はどこまで頑張れるかな。

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