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【感想文】ヒポクラテスの悔恨

私が年端もいかない子どもの頃、俳優の瑛太さんが主演する「ヴォイス」というドラマが放送されていた。医大の法医学教室を舞台に、声なき者の声、死者の本当の死因を探るドラマだった。石原さとみさん演じる女性が、母は本当に「心臓発作」で死んだのか?と訴えるシーンをいまだによく覚えている。

そこから数年経って、今度は石原さとみさん主演の「アンナチュラル」が放送された。また法医学者をやるんだ、とうれしく思った。今度は不自然死「虚血性心疾患」を疑っていた。脚本はもちろん、演者、主題歌、結末、すべてが大好きで、今も繰り返し見ている。ただ、はちみつケーキの回だけは、なかなか見る気になれない。あまりにも辛くて。

法医学に関する物語に触れて思うのは、「死因」という言葉の意味を、私はかなり狭く考えていたのだな、ということだ。死因、つまり死んだ原因と一口に言っても、例えば「糖尿病」とか「出血性ショック死」とか「硬膜下血腫」とか、それだけを指すんではない。「出血性ショック死」ならば、なぜ致死量もの血を流すことになったのか、そこまでを究明しての「死因」だ。
包丁を手に持って転んでしまい心臓に刺さってしまった、ということと、見ず知らずの男が家に侵入して刺した、ということと、長年連れ添った夫が思い悩んで刺した、ということでは、遺された遺族の感情が全く異なってくる。その真実が、時に遺族を深く傷つけることもあるだろうが、遺族を救うのもまた、真実でしかないのかもしれない。

さて、光崎率いる浦和医大の法医学教室は、現代の日本が抱える法医学の問題を克明に描き出す。資金不足は最も単純で、最も根が深い。そして毎回のことであるが、どうぞどうぞ解剖してください、という人が現れない。これは物語の特性上、つまりメタ的な理由によるものだろうが、毎回「これ以上切り刻まないで、楽にしてやってください」というようなことを言う家族の描写を見ると、少し悩んでしまう。そこまで拒否反応を示すようなものかと。
この辺りはもう個人の感情に依存するものなので、あくまで私の場合はという話だが、少しでも不自然な状況があるまま、それを無視して弔うことの方が辛い。そうなると、解剖を絶対的に拒否する様子は、古手川の目には怪しいように見えるのも、なんとなく分かるなあ。

冒頭、遺族を救えるのも真実だけかもしれない、と述べたものの、生後間もないわが子が自然死ではなく悪意に殺されていた、と分かったら、どんな絶望があるだろうか。この真実は、人を救えるのだろうか。あの時自分のお父さんが解剖さえしてくれていれば、なんて、考えたりするのかな。あるいは、犯人を憎み続ける人生が始まってしまうのかな。
本当の死因はどこまで遡れるだろう。

中山七里先生の描写力には毎度息を飲むが、今回は事故のシーンが辛かった。いかに凄惨な現場なのかが想像できてしまう。カエル男の時もそうだったが、私は殺された人というのを目で見た事がないのに、どんな様子かを想像させてくるのは本当にすごい。もうひとつカエル男と言えば、引き続き体当たりで捜査する古手川に、体調や怪我を心配してくれるバディができたのは良かったなぁと思う。

この世の全ての不条理な死、が1つでも減りますように。

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