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極熱の世界と極寒の世界

水は、動物や植物にとって必須の物質です。しかし、水は地球上に隈無く在るようでいて、実は偏在している。熱帯/温帯の島嶼や大陸沿岸地域は、水が豊富ですが、近年は頻繁に風水害に見舞われもします。気候変動に伴い、赤道付近の海洋の蒸発散によって、より多くの太陽エネルギーが水蒸気として中緯度地域まで運ばれるためです。一方、中緯度域の大陸内部は逆にますます乾燥が進み、砂漠化が懸念されている。

中緯度の砂漠化は、ユーラシア大陸の中央内陸部、西アジア/中東から北アフリカ大陸サハラ砂漠周縁、北米合衆国西部/中部にまで及んでいる。また赤道以南でもオーストラリア大陸を中心に、アフリカ大陸南部や南アメリカ大陸にも砂漠化が進行している。温暖化の影響で、近年は猛暑と乾燥が進み、北米・カリフォルニア州やオーストラリア・ニューサウスウェルズ州ではこれまで例をみない大規模森林火災が頻発していますし、地中海沿岸のギリシャでも50度に近い猛暑となり、山火事が発生して、人間ばかりでなく、動植物の被害も甚大となっているというニュースを聞いたかたも多いのではないでしょうか。

森林火災だけでなく、近い将来飲料水や農業用水をめぐって水争いが国際的な問題になると予想されている。すでに、飲料水や農業用水の確保はより深刻になっているのです。ユニセフやWHOのデータをみると、世界で21億人(世界人口の約10人に3人に相当)が安全な水を自宅で入手できない生活を余儀なくされています。

テレビのドキュメンタリー番組で、崑崙山脈の北縁、タリム盆地・タクラマカン砂漠に位置するシルクロード西域南道沿いに栄えたオアシス都市の消長をリアルに映し出していました。中央アジアの古代オアシス都市は水と共に在る。河川の流れが変わり、井戸が枯れると町の命運が尽きて、やがて人々は新たな水源を求めて移動する。町は廃墟となり、残された胡楊の建物や柵だけでなく、人もまた干からびて砂に埋もれたまま廃墟に残る。有名なローランやニヤの遺跡も水を失った土地が、生物の住めない土地に変わることを示しています。

このような極熱の世界からみると、雪や氷に覆われた極寒の世界はなかなか想像できません。随分以前(1972年)のことですが、北極圏のフィンランド・ラップ地方へ真冬に出かけたことがあった。初めてノルディック・スキーを楽しみましたが、同じコースで札幌オリンピックの国内予選が行われていた。

ある日、トナカイを見ようと仲間とスキーを履いて出ました。雪原の中、方向も定かでなかったのですが、ひたすら歩きました。この時期、外気温は-20℃以下、時に-30℃以下となり、雪氷が結晶となって降ってきます。無菌状態で、ものが腐らない。便も臭わない、無臭の世界です。同じように水の豊富な熱帯は、人も、動植物も賑やかな喧噪の世界ですが、極寒の世界は星空が澄み、大気冷涼にして、人も生物も活動が穏やかな静寂の世界です。雪と氷の北極圏の世界は、熱帯赤道域のそれと対極にあるようでした。このラップランドに住むサーメ人はノルウェー、スェーデン、フィンランドにわたる極北地域に暮らし、元はトナカイを飼いながら遊牧生活をしていたが、現代ではほとんどが定住している。

雪と氷のなかでのスキーに寒さは全く感じませんでした。けれども、仲間の一人がわたしの顔を見て、いきなり頬をこすった。「痛いか?」と尋ねられ、「否」と答えると、すぐに近くのサーメ人の住居に飛び込んだ。凍傷にかかる危険があったからでした。わたしは、玄関ドアに続く控えの間でしばらく身体が馴れるのを待ち、その後暖炉のある居間に通された。サーメ人、とくに子供達は日本人のわたしに興味津々であった。初めて見るアジア系の人間のようでした。わたしが笑うのを見て、「笑った」と笑い、わたしがコーヒーを飲めば、また喜んで笑ってくれた。彼らの流儀に従い、砂糖を入れたコーヒーをカップからソーサーに注いで、それをすするようにして飲んだ。暖かさが身体に染み渡り、おいしかった。幕末から明治期に訪れた西洋人を初めて見た日本人がその一挙手一投足を注目して見たということを本で読んだことがあるが、まさにこのような景色であったのでしょう。

三年余り過ごしたストックホルムをあとにして、シベリア横断鉄道に乗って旧ソビエト連邦を10日間ほど旅行した。一日24時間で約千キロメートルを東に進み、時計の針を毎日一時間ずつ進めて日本との時差を修正するので、次第に日本に近づいていることを実感した。当時でもイタリア・ローマから夜行列車に乗れば、(2000km足らずの距離であったが)オーストリアやスイス、ドイツ、デンマークの欧州諸都市を経由して、明くる日にはストックホルムに到着した。西洋の国々は狭く、町々の距離は意外にも短いのに対して、ロシアは広く、大きい。途上、レニングラード、モスクワ、イルクーツク、ハバロフスクを訪れたほかは、モミ/トウヒ属の針葉樹タイガ平原の果てしなくつづく極北の旅であった。

写真:タリム盆地上空から南方の崑崙山脈、ヒマラヤ山脈を望む

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