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京の老舗企業

京の老舗表彰

京都府に「京の老舗表彰」制度というのがあります。これは、長く、堅実に家業を守り、その理念、伝統の技術や商いをつないでいる老舗企業を顕彰するものです。

業種は実に多岐多様にわたっていて、例をあげると、まず菓子屋、酒造業、醤油・薬味屋、豆腐・麩屋、味噌屋、漬物屋、製茶業などの日常生活に必須の食品製造業があります。続いて、染織屋、呉服屋、衣装・装束屋、扇子屋、刃物屋、金物屋、鋳物屋、陶器屋、家具屋、漆屋、仏具屋、材木屋、石材屋、建築業、造園業、料理屋、旅館などの伝統産業。さらに、機械、電気機器、セラミックス、精密機械、紙・印刷業、化学工業などの先端産業が続きます。そのほか、書店、カフェ、ヘア-サロンなど、以外な業種も連なって、眺めていてなかなかおもしろく、飽きません。

昭和43年度(1968年度)以来、凡そ2000社に及ぶ企業が表彰されています。先に述べたように、食品製造業や伝統産業に類するものが多いのですが、一方、現代を代表する精密機械、電子産業やバイオ産業も含まれています。いずれも創業百年以上の老舗です。それにしても、これほど多くの百年企業があるのは、やはり都が長くあった京都ゆえでしょうか。暮らしを支える日用品から先端産業に属する製品まで、業種の幅が極めて広いのです。

生物の本質は、いのちをつなぐ、つまり遺伝子を存続させることにありますが、企業などの組織のそれは何でしょうか? やはり、のれんと伝統の技を守り、従業員とその家族を養う、つまりその本質は持続にあるのではないでしょうか。

企業の盛衰

生物や人の一生と同様、組織にも一定の生長パターンがあるように見えます。誕生から、大きく拡大発展する成長期、安定期からやがて衰退期へと、大きくみれば、シグモイド(S字)曲線を描きます。勃興期には、時代の波に乗り、巨大化路線を走ったが、その後の安定期にうまく省エネ路線へ転換を果たした組織が生き残るようです。拡大路線でよく見られる「のれん分け」は、いわば同業種の水平展開です。アメーバのように、分裂によって増殖し、この親子は遺伝的には全く同じですので、外見は異なっても、中身が変わらない、いわばコピーです。

次世代になると、再びその技術や組織が別の業種や産業に活かされ、転換・融合して新たな技術発展を遂げて関連産業を引っ張る。このような拡大発展と安定期、衰退から次の新たな産業創出を繰り返すのではないでしょうか。

今日、「京都企業」と呼ばれて元氣のよい企業は、電気機器や精密機器産業など、ものづくり分野で、京都に根を下ろし、優れた技術で世界に発信している企業群です。その多くは、老舗産業から異業種にスピンアウトして、進化発展を遂げています。反対に、老舗と云われる企業群にも現代のコンピューターによる制御技術がものづくりに活かされています。

このように、京都には、江戸期以前の数百年企業、明治期からの百年超企業、戦後の数十年企業など、さまざまな年齢の企業が現代に同居し、重層化した構造が伝統産業と先端産業に見られます。それゆえ、アイデアと専門技術をもつ企業間のつながりが連携を産み、ベンチャーを育てるのです。オンリーワンの技術、特化した分野での卓越した技術が異業種との連携により、新たな革新創造を導く。京都の老舗に、この種の企業が多くみられるのは、歴史により重層的な産業構造があるためと思われます。したがって、このような老舗企業群は、未来の産業のタネであるとも言えます。伝統産業としてではなく、未来産業のタネとして存続を支援する仕組みが必要です。

事業の拡大発展にはエネルギーが要ります。地震など自然災害、戦争などの人災に加えて、近年では石油危機や金融危機などの政治・経済上の災害というべきもの、さらに最近では東日本大震災と原発事故、コロナウイルスなどの感染症パンデミックなど、複合的な不測の事態も頻発し、拡大にはさまざまなリスクが伴います。したがって、百年企業となるためには先見性と共に、時の運も味方に付けることが必要です。

現代の日本社会をみると、人口も、経済も安定成熟期から収縮・衰退期に入っていることを予期させます。現状打開には、日本より一足先に成熟期にある西欧諸国の種々の試みが参考になります。たとえば、欧米では移民のエネルギーを利用して新たな活力を得ていますが、わが国の場合は、地域社会との軋轢を嫌ってでしょうか。欧米社会のように、積極的な移民受け入れ政策によって優秀な人材、新しい発想を採り入れるというシステムに乏しいのが残念です。成熟期や衰退期は新たなエネルギーや活力が必要ですので、世代交代や新たな血の導入による新陳代謝が不可欠です。

収縮期というと、ネガティブなイメージばかりが目に付きますが、一方、変革のチャンスでもあります。”原点回帰“や”自然回帰“の良い機会です。たとえば、人の生活空間である街区や都市空間を見直し、自然環境との関係性を修復することです。近年の“コンパクトシティ”への動きは、恐竜からトカゲへの転換を想起させ、またE. シューマッハーの提唱した “Small is beautiful” (1973年)という言葉を思い出させてくれます。この言葉は、石油危機時や日本車の米国進出時にも大きな話題になりましたが、拡大を指向する現代文明と資本主義のあり方に対して普遍的な疑問を投げかけているように思えます。

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