わたしがわたしを知るまで
人と自分を較べて、どうして私はこうなんだろう、とか、どうやったらあの人みたいになれるんだろう?
とか、考えたことはないだろうか。
私は自己嫌悪のカタマリで、ずっと自分に自信がなかったし、人生折り返しに近くなった今でも、自信なんてこれっぽっちもない。
今までの人生、どうして私こうなんだろう?ってかなり考えてたし、自分のことが知りたくてたまらなかった。
だって自分がどんな人間か分かれば、この根強いコンプレックスから解放されるかもしれないじゃない?そう思ってた。いや、そう信じてたといった方がいいのかも。
だから「自分のこと」を知ろうと、いろんなことを勉強したり、知識として得てきた。
で、ようやく最近もういいかな、と思えるようになったんだけど、それは決してコンプレックスから解放されたから、ではない。依然、コンプレックスは隙を見ては姿を現して、私をみじめな気持ちにさせる。
では何故もういいやと思えるようになったのかというと、自分の中にある「システム」に気づいたから。ただそれだけ。
ただそれだけなんだけど、これが結構人生の見方を変えるくらい、自分にとってはすごい衝撃だった。
人はそれぞれその人の「システム」がある。
私の場合、自分を卑下したり、自己否定や自己嫌悪するシステムがある。だからそのシステムを無視して無理やりポジティブに!とか、見て見ぬふりをしてみても、どっかでしわ寄せがきて結局ガツンと落ち込むことになる。
人がアタリマエにできてる(ように見える)ことが自分にはできない、のを恥じているのに、人と同じでいたくない、と思う。
矛盾した自分が存在している、自分のシステム。
私がが負のループにはまって自己嫌悪に陥ったとき、それを自分のシステムとして、俯瞰して見られるかどうか。
「あ、またこのパターンはまってる」と気づけたら、それが最初の一歩。
そこからそれを俯瞰して見てみると、私の場合はほぼ、私の頭の中での「ひとり劇場」なので、かなり笑える。
つまりそれは、何ひとつ現実に起こったことではなくて、自分の頭の中の妄想。自分自身の妄想で自分をおとしめているだけ。
そんな風に、自分の中のシステムを理解して、上手にあしらえるようになると(それが大変なんだけど)、かなり楽になってくる。
知ったからといってスグに全てが変わるでもないんだけど、激しすぎる感情のアップダウンを持て余していた私にとって、そのアップダウンを自分である程度調整できるようになったことは、かなりの収穫だった。
でも、その「システム」を自由自在に使えるようになるまでにはまだ至っていない。それが逆に面白いところだと感じている。
今のわたしを超えていくのは、まだこれからってことですな。
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