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美しいとは、何でしょう。

「美しいもの」がみたい、とふと猛烈に思った。

先日参加した絵本のイベントで、自分の絵本選びの基準は「美しいかどうか」だ、と話していたら、聞かれたのだ。
「(あなたにとって)美しいって、どういうことですか?」と。

実は考えたことなかった。「美しいものをみたい」と、常日頃から思っているにもかかわらず。
(「美しい」っていう)ことばの定義自体が、自分の中ではっきり出来ていなかったことにも、驚きだった。いつもなら、スッと何らかの定義づけのことばが出てくるから。例えば「可愛らしい」なら、「胸がきゅっとなること」とか、「抱きしめたくなること」とかいったように。

いつからか「美しいものをみたい」っていう気持ちをいつも心の中に持っていた。でもその「美しい」って、いったい私にとってどういうことなんだろう?
そう思ってノートにいろいろ書き出してみたり(何かにモヤる時は大体そうしてる)、自分なりに「美しい」と思うものを思い出したり、「美しい」と思っている文章や言葉を読んでみたりした。

しかし、あああ、どうにもまとまんねぇ!
そうだ、「美しいもの」がみたい。「美しいもの」をみに行こう。
「美しいもの」渇望中!猛烈に!いま!すぐ!
そう思って、行きたいと思ってた美術展に行ってきた(←短絡的w)。

みるってことは、私にとって「取り込むこと」っていう定義づけである。

だから、みるなら美しいものをみたい、もっと言えば、取り込むなら美しいものを取り込みたい、っていう願望が常日頃から存在してる。
だって、どうせなら美しいほうがいいでしょう?

そういうわけで、子供がすこし大きくなってからは、(「美しい」と思うような)美術展などの展覧会にも、時間を工面しては、いそいそと足を運ぶようになった(全然知識はないんだけどw)。

今回は週末ということもあり、開館直後を狙ってGO(人込み苦手なもので)。しめしめ、思った通り人少なくて、みたかった展示室をしばし独占だぜ(地味にテンション上がってる)!

人が少ないうちに展示室を何往復かして、いいと思った作品を舐めるようにみる(←つまりしつこい)。グッズ売り場では、重いからやめとこうと思ってた図録までちゃっかり購入し、ずっしり重い肩かけかばんと共に帰宅。とりま満足。

で、満ち足りた気持ちで再び考えてみる。「美しい」とは、何でしょう。

私にとって「美しい」とは、人やもの、こと、その本質から溢れ出る「光」や「輝き」のようなもの。
っていうところまでは、書き出した時点で出てきてた。で、その後どうよ。
美術館に行って、美しいと思うアート作品を目でみて、自分の中に取り込んでみて、どうだったのよ?

いや、ひとことでいうと、とりま「オナカイッパイ」でしたけど。
いや、そうじゃなくて・・うーん。そうね、ちょっとその「光」とか「輝き」にふれた感、取り込んだ感があるな。きっと存分に取り込んだから、満足=オナカイッパイ(今は)。

美しいもの、それぞれの持つ「光」とか「輝き」っていうのは、きっとエネルギーのようなもので。その「光」や「輝き」をみたくて、それを自分のなかに取り込みたくて、そして自分の中にもそれがあることを確かめたくて、「美しい」ものを私は求めている、のかな(まだ疑問形)。それによって、その「光」や「輝き」と自分の一部が混ざって、それがまた、新しい光や輝きに変化していくことを願っている、のかな。

だから絵画も抽象的なものが好きで、そのイメージや色や質感を味わって、想像力を膨らましているのかな…などど、展覧会の余韻を反芻しながら思いを巡らせてみた。

何にせよ、私にとって「美しい」というのは、大切なキーワードのようだ。だから、もうちょっと時間をかけて掘り起こしてみようか。
「美しいとは、何でしょう」ということを。









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