信じるということ
数日前からなぜか、ふと昔のことを思い出している。
自分がいちばんしんどかった時のこと。
眠れなくて、朝が来るのがたまらなく嫌で、どうしたら楽になれるのだろうと来る日も来る日も思っていた。いなくなってしまえたら楽なのに、と繰りかえし繰り返し、日々思っていた。
その頃の私は、もうどうしようもなく全てを投げ捨ててしまいたかった。
だけどどうしても諦めきれないことがあって、そのために、他の何もかもを手放すことを結果的に余儀なくされたんだけれども。
それが正解だったかどうかは今でも分からないし、たぶんずっと分からない。だけどいま私はこうやって生きているし、ありがたいことに出会いにも恵まれてきたってことを自覚している。
そしていま、昔の自分のことを思い出してみたら、あの時の自分には見えなかったものが見える、と思った。
そのうちのひとつが、人を信頼すること。
その時には誰かに頼っていいなんて思ってなかった。
その当時の自分を知ってる人がいたら、きっとびっくりするだろうけど、
客観的に見てあれだけ人に頼っていた(というか正確には依存していた)状況下で私はド真剣に「人に頼ってはいけない」と思っていた。だから自分から「助けてください」っていうことは言えなかったし、それ以前に思いもしなかった、ってことに今になってようやく気付いたのだった。
だけど「助けてください」って言ってみたなら、助けてくれる人は確実にあの時まわりにいたのにな、って今なら思うし、それに気づこうとさえしなかったその頃の自分を、愚かだと思う。そうやって自分を追い詰めたから、ほうほうの体で逃げ出すことになってしまったんだろう、とも。
まぁそもそも「人を信頼する」の前に、自分をまったく信頼できてなかったから仕方ないんだろうけど。と、これも今なら思えることなのだけれど。
あの頃から時を経て、今でもできないことはたくさんあるけれど(もともとの素質の欠如もあるように思う)、少なくとも「自分」という存在とは、ほとほと嫌になるくらいには、ガッツリ向き合ってきた。自分をまるっと受け入れる覚悟みたいなもんも、それに伴って培ってきたらしい。
夢見がちで妄想癖があるのは相変わらずだけれど、地に足を…つま先くらい…は、つけられるようになってきたんだと思う(ほんでつま先かよ!っていうツッコミは受け付けませんw)。
もっと勉強しておけばよかった、自分の生きるこの社会のことを。
もっと人とふれあっておけばよかった、お互いのことを知るために。
このからだと、こころと、両方使って経験することにこそ、意味があるんだと、ようやく人生折り返してから気付いたよ(私にとっては、ね)。
まあ、幸いなことにまだ死んでないし、むしろ人生を全うしてないから、まだもうちょっと死ねないし。むしろ気付けてよかったよね、自分が何も知らないで、見ないで、今まで生きてこれてきたってことに。
そんなことを思い出していたら、ひとに話す機会があって、でも事細かに話さなくても深いとこで伝わるなって感覚になって、すごく不思議な感じがした。『命日占い』なんて本を図書館でかりてきてしまったのも、そんな感覚の延長上かも。なんかちょっとまた視点が変わりそうな気がしている。
なので文章にも記しておこうかな、と思って久しぶりにnoteひらいてみた
(もっとこまめに書こうっと)。
人生はたのしいよ。
あの頃ひとりぼっちで泣いていた自分に教えてあげたい。
いま、何とかかんとか生きているよって。
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