見出し画像

芯を持っている人

いやにばっさりと意見を言う人がいる。
特に好き嫌いに関することだ。
共通の知人についてだったり、映画や文庫本についてだったり、思想についてだったり、
対象は様々だが。

その人は誰の前でも、どんな状況でも、
「これは好き」「あれはつまらない」「最高だ」「最低だ」と、
きっぱりと宣言する。

たまに好き嫌いを問われることがあるが、私が断言しないと、「あなたは優しいね」(これは言外に「自分を持っていない人ね」と言われていることくらい鈍ちんの私にも分かる)と揶揄される。
時にはストレートに、「芯がないね」と言う人もいる。

そこで質問だが、
これはだめだ、これはいい、と
断言できることが、芯を持っているということなんだろうか。

確かに芯を持っているからこそ揺るぎない好き嫌いの軸が保たれ、いついかなる時も答えに窮することがないかもしれない。

けれど私は、好き嫌いを揺るぎ無く判断できることと、それを正直に言葉で表すことはまた別だと思っている。

嫌いなものごとについてその場で「嫌いだ」と口にすることが、
相手に嫌な想いをさせたり傷つけたりする可能性がある場合は、
強く主張しないことも人としてありがちな選択だ。
主張せずとも、安定して変わらずに「嫌いなのだ」と、他でもない自分自身が分かっていればぶれない芯を持っていると言える。

もっと言えば、
「長いものに巻かれる」という政治的戦法に則り、
本当は「好ましくない」ものを「好き」だと言ってみることも、責任と覚悟を持った上であれば立派な選択かもしれない。

その行為をもって、
「芯がない」と解釈するのは早計だ。

決して「芯がない」のではなく、「芯を持ちながら表現を変化させている」のだから。

そもそも、好きや嫌いといった低次の感覚が即座に芽生えない人の方が珍しい。
それを口にするかどうかというところにこそ、その人の価値観や生き様が表れるのではないか。

まぁしかしながら、表現を変化させることによる他者の評価は甘んじて受けるべきだとも思うので、
「二枚舌」だと蔑まれるくらいは想定しておいた方がいいんだろうけど。

#人生 #処世 #芯

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?