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秘密という名の呪縛

人の噂に戸は立てられない。
古来よくよく言い伝えられている名言だ。

何かを見た、聞いた、感じた。
それが真実であるかどうかは分からないが、コトの大小に影響されながらその事実は自分の中だけで消化することは難しく、親しい友人や単なる知り合いにまで伝承され、時には多少形を変えながら蔓延していく。

楽しく愉快な話であればもちろん、
ナイーブでバレたらまずいことであったとしても例外ではなく、
「秘密だよ」と言われたことすらもはや重要ではなく、
人から人へ伝播していくものだ。

私は人に何かを話すとき、
できれば広がって欲しくない話だとしても、
「万が一この人が他の人に話してしまっても、別にこの人に幻滅はしない」という心理状態を自覚したうえで話すようにしている。

その人が「秘密」を漏らしてしまうかどうかは、私への愛情や忠誠などとは無関係だと思っている。

愛情や忠誠と関係するのは、

私の話を真剣に聞いてくれるかどうか、
一人きりになったときにある程度の重みをもって反芻してくれるかどうか、
誰かを目の前にした時に「この秘密を言うか(ほんの少しでも)逡巡する」かどうか、

ここまでだ。

実際に秘密を漏らしてしまうとすれば、
それは性来の「口の軽さ」からくるところであり、
もしくは「秘密」のレベルが1人で抱え込むには重すぎたり面白すぎたり、とにかく本人の身に余るものであったためであり、
つまり、どちらかと言えばそもそもその話をその人にした「私自身の」問題なのだ。

いつも疑問に思うのは、
「あの人は私の秘密を他の人に言ったから信用出来ない」
と言う人がいることだ。
いやいや、そもそも他の人に伝わって欲しくないことを「あの人」に言ったのはあなたですよ。

もっと疑問なのは、
「これ秘密だけどあなただから言うね。他の人には秘密にしてね」と言う人だ。
え、秘密を誰かに伝える心地よさを自分だけ享受しておいて、私には禁じるんですか!

思うのだが、相手を信頼して伝えたのなら、
相手が黙っていられないほどの高揚やプレッシャーを感じた時に、心から安心できる誰かに伝えることは折り込み済みでいる方が良い。
話を伝えるってそういうことだ。
ひとたび自分の口から放ったのなら、「あとは煮るなり焼くなり、ご自由に」ということだ。

もちろん、相手との関係性において、もしくは話の内容によって、
「秘密だ」とクギを刺すことは一種のコミュニケーションであり、その扱い方で相手の本性を見定めようとすることは悪いとは言わない。

大切なのは「きちんと秘密にしてくれるか」という点だけで、自分へのあらゆる感情を量ろうとしないことだ。
そして「秘密は漏れるもの」だと、分かっておくことだ。

あなたも私も、自分が思うよりずっと口が軽いのだ。

#人生 #処世 #噂話 #人間関係

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