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新成人になったことを愛でたいと思えない皆様こんにちは。成人関係なく特別な私は先日、20歳のつどいに参加してきました。誕生日は2月なので正確にはまだ20歳ではありませんが。

成人式は本当に怖くて、行きたくありませんでした。成人式当日の午前3時まで泣いていました。『成人式に行く気になれない』ことが私の20年の答え合わせな気がして切なくなりました。
友達がいない訳ではありません。友達は3人いるんです。けれどその3人は他にも友人がいるので、ずっと私と一緒にいてくれる訳では無い。
なら1人でいればいいじゃない。そうなんだけどね、私以外の人は振袖やかっこいいスーツを着て、旧友と再会して、楽しそうにしている中で1人500円のワンピースを着て立っていられる気がしなかった。そんなことしたらスーサイドラインへ一直線だ。

1人で何もできないわけじゃない。むしろ1人で何でもできる方だと思う。人と何かをする方が嫌いだ。だけど孤立は集団の中でしか発生しないものだからその場に1人放り込まれるのが嫌だった。
振袖も予約すれば良かったかなって今でも思う。本当はすごく振袖を着てみたかった。赤の振袖に紺色の帯かピンクの振袖が着たかった。でも1日の為に何十万もお金を出す気になれない。親に出してもらいたい訳でもない。もう大人なのに親に金を払わせるのはダサい気がするし、親も自分の金は自分で使いたいだろう。あんまり可愛がられなかったし。親子というより、人と人として過ごすことの方が多いし。

色々書いたけど成人式は行ってます。行く道中、イヤフォンしてひとりで歩いているのは私しかいなかった。政治家達が『新成人の皆さんおめでとうございます。自民党は今回の北越地震で1番に動いた政党です』と挨拶していた。戦争と自民党と意思のない茶髪が嫌いな私は逃げたくて仕方なかった。イヤフォンから流れるのは大森靖子。靖子ちゃんを聴きながら化粧をして遅刻で登校していた高校時代が懐かしくなったけど、その時から何も変わってないことに小さく絶望した。
会場に入る直前でマジックミラーの『私の有名は君の孤独のためにだけ光るよ 君が作った美しい君に会いたいの』という歌詞が涙腺に効いて泣いた。

病んでも関心を持たれることはもうない。私はいつだって病んでるから。死にたいとツイートしても、自殺を匂わすことをしても、いいねもつかなければメッセージもこない。そりゃそうだ。私のことは私が守るしかない。
でも私は死にたい人がいたら心配してるしリストカットをツイートしてる人がいたら大丈夫かなってすごく思う(それを伝えろという話だが)。こういう所はできるだけこのままでいたい。忙しいなら休んでほしいし考え事が止まらないなら話し相手になりたい。私に出来ることならなんでもしたい。

成人の日は大人になるってどういうことか考えるキッカケになる日になるかなって思ってた。だけど私はそんなこと考えなかった。私は生まれた時から死ぬまで私で、子供とか大人とかは考える必要がない気がする。大人だから出来ないことも、大人だからやれることもない。私だから出来ないこと、私だからやれることがあるだけなのだ。

人生は面白いほど自由だ。全て自分で選んで生きてきた。他責意識は捨てた。人生の全てのことは自業自得です。

人は変わることができるけど、本当に根本的な所は変われない。代わりがないもん。だから私は死ぬまで自分の部屋に守られて私の思考に守られてそこに大森靖子の音楽をぶち込んで生きる。希死念慮の中で楽しみながら踊ることができる成人式が怖い恵まれてる人間なんだ。
これが分からないなら今すぐ私と関わるのをやめてくれ、お互いつらいから


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