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デザインの責任を放棄するときの苦痛

あんなに暖かい日々が続いていたにもかかわらず、一気に冷え込んだ今日、雪が降り、積もり、そして午後に溶け始めた。

最近の私は春のような心地良い時間を過ごしていた。したいことをして生きていたように思うし、気持ちの波が大きいはずの私が、静かで穏やかな時間を過ごしていた。凄いことだ。

それが、今日の天気のように一変した。私の心に波が起きた。波の始まりは期待だった。わかってくれるのではないかと思っては傷つき、傷つけた。期待は人への負担となった。適度な負担なら良かったが、そうでもなく、私にも他人にも大きくのしかかる負担だった。

その負担は、諦めることでなくなるが、諦めるのもまた苦痛を孕んだ。しかし、諦めずに期待を背負ってもらうのは残酷だと思った。諦めるかどうかを時間に委ねてしまった。その後にまた大きな波が訪れる事も予測はついていたが、諦めてしまった。

雪が溶け始める頃には、諦めは静かにじんわりと広がって、諦めという言葉でもなくなった。冷たさは寂しさを強くさせたが、心の中の波は小さく、とても小さくなっていた。

とても疲れ、苦痛や悲しさや辛さや情けなさ、怒りといった感情の波すら消えていった。波のない静かな海と、穏やかな春。
一眠りしたら、今度こそ誠実にデザインに触れたいと思った。

(これは遠い昔の話)

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