お互い様ということで

最近はセクハラとか言って、あれを言ってはいけないこれを言ってはいけないと、なんだか難しいですね。

ちょっとやり過ぎの様な気がしています。

それで、セクハラのボーダーラインはどこら辺なのか考えてみると、

結構難しい様に思います。

女のくせに、というのはダメでしょう。

なので、男のくせに、もダメでしょう。

でも、「男なんだから」とか「男らしい」はどうなんでしょうね。

女性っぽい男性が居ても別にいいんですが、本来男は女性っぽくはない、という考えは「普通」ではないんでしょうか、、、。

なんだかんだ言って、結局は言われた人がどう感じるか、傷つくか、ということなのでしょうかね。

人によって違う部分が大きすぎて難しいですよねぇ、、、。

自分の中の女性像としてはやはり、母親で、おいしいご飯を作ってくれる人だったり、服を縫ったり、主婦であったりするので、どうしても「女性らしい」イメージというものが頭の中に有るんですよね。

勿論、個人によって違うのは解っていますが、「女性」と言ったらやはりイメージが有りますよね。

どういう言葉で傷つくかも人によって違いますよね。

なので、具体的に何を言ってはいけない、これは大丈夫と決める事が出来ない部分ってのが有るので、ホントに難しいと思います。

女性に「美しいですね」と言うのは良くて、「結婚しないんですか」が悪いというのは、どこか一方的に感じる事が有ったりもします。


女性も仕事をする時はスーツと決めたほうが良いと思ったりもします。

女性だからおしゃれしても良いと言うのは都合良すぎる様にも思います。

実際に仕事の時スーツな女性は多いですし。

そういう訳で、とても曖昧で、人によって様々で、わけわかんない部分が有る事。

「セクハラだ!」と言う「被害者」の物言いが暴力的すぎると思う事が有ること。

そんな事を感じたりもします。


なので、セクハラに限らず、いろんな事に言えると思いますが、

「お互いさま」な考え方を持てないものかと、いつも思います。


昔、女性は地位が低くて、「女のくせに」を普通に言っていた時代に生きた人が居るわけで、そういう人が「女のくせに」という言葉を使ってしまった時に、もう時代が変わったのでどうのこうのと、優しく説明してあげて欲しいと思います。

そういう時代に育ってしまったのだから、どうしてもそういう感覚が有るんだという事にまず、同情して欲しいと思うんですよね。

そのうえで優しく説明する、というような、そういう風に考えられないものですかね、、、。

そういうベースが出来ていれば、何か言って相手が傷ついた場合、ごめんなさい、自分はどうしてもこういうイメージを持ってしまっているから、と説明してお互い納得出来るじゃないかなあと思うのです。

小島慶子という人が、「未だにそんな考えを持っている化石のような人」という暴力的な言葉で、他人を全否定しているのを聞いた事が有るが、お互いの人間性を尊重しあわなくてはいけない、という話の中でそんなことを言っては、自己破綻だと思います。

言われたほうも、ただ怒るんじゃなくて、そうだよな、そういう風に育ったものをすぐは変えられないかもしれないね、と、

そういう考え方をすれば、一番いいんですけどねえ、、、。

自分の事は認めろ、しかしお前は認めないと言っているようなものですよね。

男らしい、といえば、自分も小さい時から「男はこうでなければいけない」的な教育を受けてきましたよね。

で、それは自分はそうだと思っていていいんだと思います。

男子たるもの、という教えは色々と有りましたよねぇ。

なので今でも、男らしくしていなければいけない、という意識は強く持っている様に思います。


男が食べ物を旨いとかまずいとか言うものではない、
出されたものを黙って食べなさい。

男なんだから、電車に乗ったら立っていなさい。

まず、人様の事をして、自分の事は一番最後にしなさい。

正義の為には命も投げ出しなさい。

人前で泣いてはいけない。

いざ鎌倉という時の為に、家財道具は少なく、荷物は少なくしなさい。

男が着るものをあれこれ考えてはいけない。


などなど、、、、。

今でも、感覚としてはこういう風に思っているなあ、、、。

かわいひでとしホームページ

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