人として

「 学校のお勉強が良く出来る子特有のバカさ」、というものが有ると思うのです。

随分前からそういう事を感じていました、、、、。


若い人と話をして、ああ、この子はとてもきちんとした人だなあと感心する事が有ると、たいていその子は高卒だったりするのはどういう訳だろう、、、。


その子と大卒の子を比べた時の違いというのは、

「きちんとしている」と言うより他になかなか言葉が見つからないのだけれど、明らかに違うと思うのだ。

この違いについて説明するのは難しいのだけれど、解りやすく言ってしまえば「マニュアル人間」みたいな事になるのかもしれないけれど、それだと、自分の言いたい事とちょっと離れてしまう様な気がする。自分の言いたい事の中の一部分ではあると思うのだけれど、、、。

先日、ある団体のリーダーがこんな事を言っていたのを読んで、

うん、あるある、と思った。

採用の為の面接などで、待遇などについての質問をする、というよりは、そういう質問だけをする、という感覚。


一昔前の人なら「自分はまだ未熟で何も出来ませんから一生懸命やりますので、どうぞ使ってやってください」的な道順での思考法だったものが、

ちゃんと出来るベテランと同じ立ち位置で待遇の事を聞いてくる、というところに、強い違和感を覚えたということだった。「ママのところへ帰れ!」と言いたくなったとのことだった。

解ります。

なんというか、労働条件をしっかり確認してから入社するとか、労働者の権利とか、そういう事は解るのですが、思考の道順で何かが一つ抜けてしまっているような感覚、、、、、。


労働者の権利、ブラック企業、などなど、法的社会的な意味でなく、

人として考えたときの思考の筋道、、、、。

そういうものが抜けてしまっている様な感覚です。


先日ネットで読んだ記事に、とても心を動かされたものがあった。


中国の地下鉄での出来事。

車内で女性が嘔吐したのだそうで、その女性はそのまま降りていってしまったのだが、その嘔吐物を、一人の少年が鞄から紙を出して、黙々と掃除していた、というのだ。


これはねえ、やらないでしょう?みなさん。

なんというか、それを清掃するのは地下鉄職員の仕事だから、なんでしょうかね。

それとも、自分の家でもないし、赤の他人がやった事だし、自分ももうすぐ降りるのだし、、、、。ですよね。


、、、、、、、。


でも、もっと素朴に、目の前で起こった事に、人として自然に向かう姿勢、

というのだろうか、とても自然な人間の姿として、掃除する少年の姿に感動してしまったのです。


法的にはとか、社会的には、とかそういう事の前に、一人の素朴な人間として、という事があっていいと思うし、あるべきだなあと思うのでありますよ。


欧米では良く、クルマで事故った時に、後で法的に不利になるから絶対に謝らないという事が言われていました。

最近、イギリスなどでは、「say sorry」という運動が有るのだというのを何かで読みました。

ソーリーと言っても裁判で不利な証拠とはしない、人としてごめんなさいくらい言うのは当然、という、そういう考え方も出てきているようですよ。

もし、中国の地下鉄の様な場面に遭遇したら、自分も掃除する事を誓います。
そういう場面に遭遇しない事を祈ります、、、。

と、書いた今日、外国人のオンナがタバコの自販機の前で買えないと騒いでおりました。
店員が、タスポカードが無いと買えないのだと言っていたが、自分は外国人なので、そんな物は持っていないと、、、。
俺のカード使いなよ、と、カード貸してあげたんだけど、その程度じゃ自慢にならないすね、、。
ゲロを掃除するんだからなあ、、、。
んでも、自分に誓いました。やります。

かわいひでとしホームページ

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