人とつきあうということなんだね

テレビで発達障害の特集を見た。

勉強になったなぁ、、、。


しかし、発達障害って、特に病名を付ける必要が有るんだろうか、

そんな人、いくらでもいるじゃないか、という感じもした。


「障害」というと、異常な状態であるかの様にとらえられる事が 多いけれど、元々の意味は、日常生活を送る上で障害になる、というほどの意味 なのだそうだ。


発達障害が有る人は、およそ100人に1人だという。

1000人で10人、10000人で100人、10万人で1000人、100万人で1万人
1000万人で10万人、1億で100万人だ。

そこらへんに、普通に居る、普通の事なんではないのかな、と、思った。

言ってみれば、「病名を付けられちゃった普通の人」、なのではないだろうか。

誰だってみんな、無理やりでも病名をつける事が出来るんだろうと思う。
というか、なんでもかんでも病名付け過ぎ、とも思ったりする。
ただ、病名を付けることによって社会から支援などを受けられるという視点も有るとは思うが。


「発達障害が有る人は」とか言っている自分も、どっかしら発達障害なりなんらかの障害が有るのだろうとも思う。

そう考えてみると、人間って、「完全」じゃない人のほうがずっと多くて、

それぞれデコボコしているのが普通なんだと思った。

「不完全」な人間のほうが圧倒的に多かったりするんだろうと思う。

人それぞれデコボコが有って当然なんだと思った。

発達障害の特集を見ていて思ったのは、最初にも書いた通り、

特に病名を付ける必要が有るのだろうか、という感じ。

あえて病名の様なものを付けなくても、単に「性格が細かい」とか、

「几帳面すぎる」とかの言葉で済んでしまうような感じ。

でもまあ、そうなんだろうと思う。別に病名をつけなくても、あの人はこういう人だから、と思えばいいだけの事だと思う。

そして「病気」に対処するというようりは、単に「人とつきあう」という事なのだと思った。

あの人はこういう性格だから、こういうふうに言おう、こういうふうに付き合おう、という、「人づきあい」そのものなのだと思った。

旦那さんが発達障害で、奥さんが鬱になってしまうケースが紹介されていた。

風邪気味で体調悪い時に洗いものをしている奥さんが、体調悪いならやってあげようか?と言ってくれない旦那にストレスを感じる。

けれど、旦那から見ると、体調悪いなら医者に行けばいいのだし、立って洗いものをしているのだから大丈夫なんだろうと思うのだし、だから特に代わってあげようかと言うという事には思いが及ばない、という事なのだそうだ。

だから、奥さんが、「体調悪いからこれやってくれる?」と言えば旦那は「そうしたほうがいいんだな」と判断してやってくれる、というのだった。

もうほんとに、病気どうのこうのの問題ではなく、「人付き合い」そのものではないか。

ただこれは良いケースで、言っても解って貰えない、受け付けない、というケースも多く有るとの事だった。

内科的、外科的に身体が弱い人、とか、精神的に弱い人、とか、

性的嗜好が違う人、とか、そらもう、あらゆる所で自分とは違う人ばかりで、それが普通なのだな。

そういう、自分とは違う人を相手にするのが「人付き合い」なのだな、と、

思うのでありました。


だから、ほんとに、人と付き合うというのは、実は結構大変な事なんだよね、、、。

と、考えてみてすっきりしたかというと、そうではない。

単に、考え方の違い、感覚の違いというだけでも気が遠くなるほど人によって違う上に、さらに、色々な「病名」を付けられたケースが有るという事は、もう絶望的に「みんなで一緒に」をあきらめる様な気分になってくるのだった。


民主主義とか多数決とか、世界平和とか、って意味有るんだろうかとさえ思えてくる様な気がしないでもない、、、。

まあいずれにしろ、違いを認め合って、という事なのだが、

言葉で言うほど簡単ではないのだなぁ、、、。

昔、両手がうまく使えない「傷害」が有る男の子と知り合う機会が有ったのだけれど、
そのとき、特に意識せずに「ふつう」に接すればいいのかな、と思ってね、
それじゃあ、オナニー出来ねえじゃねーか、どうすんの?
と普通に会話してみた事が有った。
努めて「普通」に接してみたら、

相手もちょっと恥ずかしい事も話してくれたりして、ちょっとほっとした思い出が有りましたね、、、。

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