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#019 倫理の「なぜ〜してはいけないのか」を追求する

倫理学についての思考ゲームとして考えさせられた本があったので、紹介します!

本のタイトルに怖い印象を受けますが、「ダメなものはダメ。なぜダメなのだろうか」を掘り下げて行く趣旨の書籍で、倫理的にダメとされる行為を推奨する書籍では決してないのでご安心ください。

著書:なぜ人を殺してはいけないのか
著者:小浜逸郎
出版:洋泉社

この本は、古代から問われ続けている10もの難題に力の及ぶ限り答えを与えていく内容となっています。特に面白かった点は、質問そのものではなく、質問の背景に焦点を当てていることです。「なぜこの問いを発するに至ったか」。これらの質問には正解は存在しないですが、質問者がどういう意図で聞いているか、その背景事情は何かあるはずです。なので、質問者の背景事情を察することができれば、自ずと的をいた回答ができるのではないか、という試みです。

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第一問:人は何のために生きるのか
第二問:自殺は許されない行為か
第三問:「私」とは何か、「自分」とは何か
第四問:人を愛するとはどういうことか
第五問:不倫は許されない行為か
第六問:売春(買春)は悪か
第七問:他人に迷惑をかけなければ何をやっても良いのか
第八問:なぜ人を殺してはいけないのか
第九問:死刑は廃止すべきか
第十問:戦争責任をどう負うべきか

ぱっと聞かれた時、答えられるでしょうか。

例えば

Q「なぜ人を殺してはいけないのか」

YESかNOかでいったら、もちろんNOであることは想像できます。当たり前です。これ以上議論することは通常あまりないですが、本書は一歩踏み込んでいます。当たり前を疑うところから始めています。

そもそも、問いとは?

この本でまず最初に印象に残ったのは、下の文章です。

「人は何のために生きるのか」
この種の問いにうまく答えが見つからないもう一つの理由は、問いそのものの出来不出来にかかわっている。

よくよく考えてみれば爽快な文章です。「問い」を評価するのです。学生からすると、先生が作成した試験に対して点が全く取れなかったのに「先生の問題の作り方が悪い」とつっぱねる図々しさが感じられます。

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もう少し読み進めていくと、背景がわかります。
全ての問いには、動機があるということです。

「三角形の内角の和は何度か」という問いの場合には、論理体系の進行の必然的な道筋に沿って問いが設定されているので、あなたはなぜそんなことを聞くのかなどと聞き返しても意味がない。これに対して、「人は何のために生きるのか」とか「なぜ人を殺してはいけないのか」といった問いは、それを発したものがどんな動機からそういう問いを発したのかということ自体がその都度問題であるような問いである。問いを発したもの(主体)自身の生の中に、それについてうまく答えられなくて悩むだけの原因が既に潜んでいるのだ。

問いが発せられた動機がわかれば、答えるのは比較的容易になります。

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問いというものは、出された瞬間から、一つの枠の内部に人を拘束するので、多くの場合、答えようとする思考経路が問いそのもののありようの中に閉じ込められてしまう。その結果、その問いがそもそも適正な問いであるのかどうかについての反省が行われにくい。

義務教育では、先生が出した問題に盲目的に答えることが多いです。「先生、この問題のセンスないですね」などと自分の点数を棚に上げて、先生の出した問題に異論を唱える人はあんまりいなかったように思います。

なぜかというと、義務教育ではほとんど問いの背景に目を向ける必要性が感じられないからです。(国語や現代文などでは出題者の出題意図を把握する必要がある程度)。

義務教育で習ってきた問い
問いの答え:ある
問いの背景:学問についてどれくらい理解しているかに尽きる

倫理学の問い
問いの答え:ない
問いの背景:人それぞれであり、一概に言語化できない

倫理学では問いの動機に焦点を当てる必要がある


この本では、もう一つ面白い観点がありました。

つまり、問いとはそもそも現実に対する欲求不満が結晶化したものであり、現実に対するもやもやした解決できな矛盾点が起点となっている。こうした問いは、答えが一つに決まらず、出口のない袋小路に入り込む場合が多い。

何か質問するときとは、どういう状態かに着目しているのである。

「人は何のために生きるのだろう」

この質問が出るのはどういうタイミングでしょうか。少なくとも幸せの絶頂にこう考える人は少ないはずです。日々が希薄で、あまり明るくない状況であることはなんとなく察しがつきます。

つまり、質問者は現状に何か不安かもしくはストレスを感じていて、そのモヤモヤした感情が結晶化した結果、「人は何のために生きるのだろう」という問いになったのです。

問いの質、感情の結晶化の方法が正しいかどうかは分からないです。受け手に想像力を使わせる点、質問力は低いかもしれないです。この手の質問をしても、現状の不安もしくはストレスを解消できるような回答を得るのは難しいです。

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仮にもこういう問いを投げられた時は、根本的な動機について想像してみて、もっと良い問い方がないか考えることが重要です。言外の意味をいかに掴んで、問いと相談者の人生の解像度を上げることが鍵となってくるのです。

「この人はどうしてこういう問いを発するに至ったのだろう」

と想像力を働かせ、必要によっては質問を再構築することが効果的です。言外の意味を把握する力は「気が利く」のとニュアンスが近いです。気が利く人は日常の多くの場面で人の思考に目を向け、手を差し伸べます。倫理的な問いには、気を利かせる必要があるのです。

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正解はない

さて、この本では言外の意味に想像力を働かせながら以下の問いに答えていっています。

どの質問も、正解はないです。質問者の状況は千差万別なので、それぞれに事情はあります。それら全てに通用する普遍的な答えはないです。

第一問:人は何のために生きるのか
第二問:自殺は許されない行為か
第三問:「私」とは何か、「自分」とは何か
第四問:人を愛するとはどういうことか
第五問:不倫は許されない行為か
第六問:売春(買春)は悪か
第七問:他人に迷惑をかけなければ何をやっても良いのか
第八問:なぜ人を殺してはいけないのか
第九問:死刑は廃止すべきか
第十問:戦争責任をどう負うべきか


自分が考える答えと、著者が考える答えの照らし合わせはできるでしょう。そう言う意味では、ぜひ書籍の方を読んでください。

おしまい。

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