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「変わっているね」という呪い

私はヘンだから喋らない。

何を言っても真剣に取り合いませんの言い換えが「変わっているね」

人間誰しも普通なんてことはないだろう。個性的な人種と対面しても分け隔てなく接することにしていた。

そういう寛容さを自分にも向けてしまった。

だから、どこでも誰にでも自由にお喋りをしていた。
すると、口数が増えれば増えるほど人が離れていくことに気づいた。

他害するようなことは口にしない。それでも、聞き手は私が気づくことのできていない危険や不快感を感じ取ってどこかへ行ってしまうのだと思う。

自分の駄目なところが分からない未熟な自分が嫌いになって、大嫌いになって泣き続けて籠ることにした。

「こんな馬鹿大嫌いだ」と自分に向かって泣き続けている私を父親は隣で静かにみていた。

なんて謝ればいいのかいまだに分からない。「今は自分のことも受け入れているよ」なんて嘘はつけない。

そうして、自分の駄目なところをいまだに見つけられず、嫌いなままうやむやにしてしまったから。
人と会話する時に言葉が出てこなくなってきたのだ。

長年の友人にも上辺だけの会話をしてしまう。彼女は私が自我を意識する前からやさしく寄り添ってくれていたのに、離れてしまうのが怖いのだ。

私は変わってしまったのかもしれない。変わりすぎてどこがどう変わったかわからなくて、対処もできない。

逃げ続けることが苦しい。

喫茶店で対面で座っても、私は過去も現在の話もしない。そして、趣味の話もあまりしない。

私は誰かを前にすると時が止まる。ただいま目の前にある提供された話題と目に映る景色について返事をする。

笑わせるのが好きだった。いつしか私の笑い話は笑ってはいけないものしかないと気がつき始めた。

それも人から言われて気がついた。重いことをあっけらかんと笑いながら話すから不安になるのではないかと。

その不安にさせることだけが原因ではない気がする。きっと、もっとあるはずだ。

私は間抜けなもので、気を許して饒舌になるとやはり人は離れていく。

こんな人間、いないほうがよくないか?


寂しいから受け入れてもらうために偽る。それ、私である意味が無いのではないか。

もうお人形さんとか、ロボットみたい。

受け入れられたいけれど、圧倒的に何かが足りていない。その何かがいつどうやったら分かるのかも分からない。

愛されたい、このままの自分を。

でも、人々が避けて嫌がる駄目な部分をこの世に残したくない。

綺麗な綺麗な可愛いお人形さんにしてください。

球体関節でちょっと重くて、日に透けるガラスの瞳と柔らかい髪に薔薇色の頬と微笑みを湛えた愛らしいお人形さんにしてください。

部屋の隅に座らせられて、たまに話しかけられて、涙を流しながら困り事を呟かれても頷いたりはできない。

それでも、ここにいる時点であなたを受け入れている存在として座っていたい。

自分を嫌いになる余地もないお人形の世界にはもしかしたら人間とは別の困難が存在しているかもしれないけれど。


2024.9.6 可愛唯

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