そこから説明しなきゃダメなのか、の例(ファーゴ シーズン2 第一話)

 メインで出てくる家族経営の田舎のそこそこ大手のギャング一家の末っ子でかなりオツムの足りないやつ、その街の各所からみかじめ料その他みたいなもんを回収し、それを一家のボスつまり父親に渡すことになっている。それがそのギャング一家の運営資金。
 そいつが一家の金を使い込み、上司のようなもんである兄に詰められる。どうにかその分を取り戻そうと知り合いの起業系山師と話をするが、その山師、裁判所から差し押さえを食らってて金が手元にない。その判決さえ変われば金はすぐできると語ったところ、そのバカの末っ子は裁判所から判事を尾行し、食堂で食事中の判事のテーブルに座りこむ。

 その裁判官に向かって「判決を変えろババア」と凄むのだけど、通るわけもないその想像もできない。
 その判事はヨブ記をたとえ話として長々と説明し「悪魔でさえ変えられなかった心、おまえに変えられると思うのか」とたしなめる、そいつはその長い話のひとかけらも理解できない、ヨブが誰なのかもわからないそのたとえ話が今の自分の行動とリンクしてることもわからない。そして彼女にに「いまの話は何?」と答える。呆れる判事。名シーン。バカ相手には色んなものが通じない。「旧約聖書というのがあってだな……」から話さなきゃならないただしきっと話したところで通じない。ドキュン相手にはわかりやすいたとえ話でさえも、なぜこの場でその話が出てくるのか、ヨブってのは誰なのかもわからない。とてもいいシーン。
 
 その後いろいろな荒唐無稽な登場人物や出来事も面白いのだけど、最初のこの部分だけでどんぶり飯三杯は食べられる。

 

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