中高生だから通過点として許される

西村とか成田って所謂中二的心性ととても相性がいいよな。ガキが中二病なのはまだわかる。四十代五十代でそれはない。変なメガネも中二的でとてもわかりやすい。
たしかプラスかマイナスか、0か100か、みたいな二極思考というのは思春期に通過するみたいなのを高校くらいになんかの心理学系で読んだ。普通はそこを通過して社会の中の様々なその間の濃淡を手に入れていくのだけど、あいつらに共感してる大人どもが新刊書店の平積みのあいつらの本をがしがし買ってるらしいところから想像すると、あいつら、高校生時代の私よりも頭の悪いまま大人になったのか、すごいもんだなと思う。
高校生の私はその本の当該部分を読んで「うわぁあああああ」と思いながら中二の頃の私を思い出してとてつもなくこっぱずかしくなったのだ。その経験をしないまま四十五十六十になろうとしてるあいつら。あいつらの客層として、中高生あたりならばとてもしっくりくる。ただあれは中高生だから通過点として許されるのだ。大人のそれは許されない。もう一度書く。

あいつら、高校生時代の私よりも頭悪い。

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