たしか廣松渉のそれはゴシック体じゃない、あそこらへんの時代。調べたら1988年

 新刊書籍の店舗には数年に一度くらいしか行かない。もう行ったところでなにもないいや並んでる本は多いのだけど金出して買うレベルの本が一冊もないブックオフというのは月イチくらいで書いているが、ないなら行く必要もないと思うでしょうが、もしかしたら、とかいうのと、近所(車でだけど)に比較的大型のそれが古着と並列してあるので、上記の通り月イチくらいでいまだに行くのだが(古着がメインで古本の方は行きがけの駄賃レベルでみるくらい)、文庫新書の棚がとても見にくい。
 この「見にくさ」の理由は並べ方の前に、私の若い頃の例として挙げると、つまり、

 「岩波新書はまあハズレはない、中公新書もまあハズレはない、講談社現代新書はうんこ内容が混じる率が高い。岩波文庫はまあ全部買うてよろしい、講談社学術もまあ買うてよろしい。中公文庫は著者と内容によるがまだまし。角川新潮は新しめやスタンダードばかりだな講談社文庫はゴミもかなりあるからなその他あの会社の文庫はこうこの会社の文庫はこういう傾向」

を基本とした探しやすさがあったのだけど、いつの間にか上記派生系の文庫も増え、その他の知らん出版社うんこな本しか出してないような出版社がどんどん文庫や新書を出していくようになって数十年(この数十年という境目は講談社現代新書の背のタイトルの文字フォントがゴシック体じゃなくなったあたりを私の中で基準にしている。たしか廣松渉のそれはゴシック体じゃない、あそこらへんの時代。調べたら1988年だった)経過して、上記のようなところでも、うんこ内容の本をどんどん出すようになり、それは、うんこ内容にしないとうんこ脳味噌の一般人には読めないからという、うんこ側に寄り添いそっちで利益を出す形での出版社のうんこ化も進み、この出版社だから大丈夫、というあたりもどんどん崩れてきて、いまの私からすると「なんでこんなうんこな著者のを自分のとこの文庫にいれてるんだよこのバカ出版社」みたいなものがどんどん増えて、「ざらっと眺めてよさげなのを探す」手間が大いにかかるようになったのでもうその作業もめんどくさいな、というのと、あの並んでるところからよいものを抜くのが楽しみだったのによいものはここ十数年で一冊もないじゃないかwwwよいものは大体Amazonで買うておるなあもあり、そういう方面で数十年前と比較してまるでちゃんと棚をみなくなった。新興の文庫新書なんてそれぞれの出版社の内容傾向を覚える気も全くない。私の周囲には流れてこないきいたこともないそれらだきっと私の人生には不要だ。

 たまに信頼できる誰かが「こんなものが出た買うたよかった」で買う文庫新書以外にここ十数年で金を出した記憶もない。そして、買ったがそれらをまだ全部読み切ってはいない。きっと老衰で死ぬまでに全部読み終わらんだろうと思うのと、あと、内容もいいです話題の新刊ですと信頼できる人が紹介してくれても、もういち早くそれを読んで話題にし、評価を加えるということも二十代三十代の時ほどのそんな熱意もなくなった。ああ、現代思想系海外の最新哲学系なんか二度と絶対に読まん。イスラエルの蛮行とその擁護連中ども山ほどであそこらだいたい私の中で無価値になった。特にドイツ系の連中の腐れ外道ぶりは甚だしいものがあるなあと思うが、確か九十年代なりかけのあたりで「こっちに進んでもたいしたもんはねえな」と選択して古典系に進路を決めたのだ、ああ、無駄にドイツ語やらなくてよかった。古典をメインに据えて大正解の人生じゃった。食いはぐれることもなかった。あの時の選択した私、偉い。

 じゃあ何して過ごしているのか。映画もあまり見なくなった、ラジオは一年ぶりくらいに番組を昨日聴いた。本も決まったカテゴリのそれらしか読まなくなった。テレビをつけることもしなくなった。AmazonTVstickをもう数ヶ月触ってもいない。

食うて寝て食材を買いに行って食うて寝て不愉快なやつの悪口を書く #短歌

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