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札幌の北24条の宝来

 父は野球全般が好きだった。プロ野球も高校野球も好きだった。最初に連れていかれたのは七十年代前期の日本ハムVS南海だった。小雨が降っていた。日本ハム側の観客席だった一塁側。札幌の野球ファンは99%が読売のファンだった時代でも、ちゃんと地元の日本ハムファンがいた。旗を持って鳴らし物を用意して応援していた。いまの北海道の日本ハムファンの多さをあの当時応援していた人らに教えてあげたい。あなたらは譜代として振舞っていいと声をかけたい。たぶん父と同じくらいの年齢なので、地元での盛り上がりは体験できたことと思う。私の人生にまったく関係ないが、体験できてよかったなあと伝えたい。高校野球も熱心にみていた。テレビが観られなくなるギリギリまで自宅で中継をみていた。声もあげてた。
 正月の駅伝や大きな大会のマラソンも中継されることがあったが、父はまるで興味を示さなかった。なんなら「日曜はこいつらいつも走ってやがるな」くらい冷淡だった。
 正月、私らを連れて親戚をまわってくれたお年玉回収のためだ。親族のある家で正月の駅伝をそこの家族全員が熱心に観ていて子どもながらに「おお、これが各家庭で育つ文化の違いか」と思った。その文化が入ってこなかったせいで、私は高校野球くらいならみていられるが、駅伝はみていられない。かったるい。マラソンもかったるかった。あのどこがおもしろいのか理解できなかった。
 
 そのうち東京に進学して何年か後、日曜にマラソンをやっていた。マラソンかあと思ったが、それが札幌開催だと知った。私はその札幌開催のマラソンをとても楽しみながらみた。楽しみながらみれている理由は、もう札幌に頻繁に帰れてない時代なので大学院時代だろう。常勤のバイトしなきゃ生活できないので季節ごとに帰省するのは諦めていた期間だ。
 選手はみていない。札幌の街並みをみていた。全部知ってる場所だ。知ってる場所だぞおい、と楽しんでみられた。マラソンにそういう効果があるのに気づいた記念だった。

 先日の汚職まみれのクソな東京オリンピック東京オリンピックなのにマラソンと競歩だけ札幌開催というほんとクソな大会、マラソンコースは札幌出身の食いしん坊ならだれでも知ってる店の前を通過するのであった。あの当時と違い、ネットでの実況という文化ができていた。あの店たちを知る、いまは札幌にいない人らなどで大いに盛り上がった。マラソンは選手よりコースが大事であるな、と思った。あと、あの店の店主は私の中学の同級生だ親しいんだ。どうだいいだろう。その様子を私がまとめた。

東京で札幌のマラソンをみていた私のような人らがたくさんいた。とてもよかった。

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