今度は私がする番だという気分でいた
家の除雪は私ら兄弟でずっとやってた。父も最初は一緒にやってたがそのうち私ら兄弟にまかせることが多くなっていった。父には私ら兄弟という、家で便利に力仕事に使える子分がいた。父が除雪作業をしなくなったのは何歳くらいからだろう、といま検索したら、今の私より年下の時にはもうその力仕事をしなくなってたのを確認した。
いま私は、当時の父より年上なのに、便利に使える子分がいないので、私一人で除雪作業をしている。子分がいたら全部任せるのに。
ただ私ら兄弟つまりその子分どもを父は除雪作業のない春夏秋も常時雇っていて食わせていたのだから、私らも冬に除雪ぐらいやって当然なのだ。十分すぎるほどの待遇であったなあと父母には感謝している。クリスマスも正月もいろいろしてくれてありがとう。子どもの私らはとても幸せだった。もっと孝行すればよかった、と思うのだけど、よそからみたらカワイはかなり親孝行にみえていたようなくらいだったので、結構世間的には十分な親孝行をしたのだと思う。個人的には、親孝行というより、あの時いろいろしてくれたんだから、今度は私がする番だという気分でいた。母にももっといろいろしたかった。
親孝行は富士の高嶺にさも似たり見上げられたり褒められる(寿々木米若 吉田御殿冒頭)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?