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「はい、携帯安浦」

 私のところにはほぼ電話はこない。電話がきたら結構ビビる。書きながら今度の電話は「はい、iPhoneカワイ」と言おうと思う。これにはかなりの前提が必要なのだけど、そういう前提のある方々からはきっと電話はこない。使い道がないのでこれをめにとめた方は自由にお使いになるといい。固定電話のときは「固定カワイ」というのがいい。コテハンのカワイだ。本題に入る。

 私はずっとガラケーだったのでそうじゃない人との連絡はショートメッセージがほとんどだった(たまにEメール)が、大体彼らから送られてくるそれは短文であるのに対し、私は字数制限いっぱいに送っていて(だって送信の料金同じだから)、そのやりとり画面をiPhoneでみると、これは短文十数文字が適切であって、私のように毎回みっしり字数一杯60文字以上を送られてた相手は読むのが大変だったろうなあと思った。

 私は文字数のために句読点も省いてみっしり送信していたので「なんでこのひとSMSなのに長いのだろう、ショートなのに!」と届いたキミもびっくりしただろうあの娘はまだ元気かい昔の話だね春のこもれびのなかでキミの優しさに埋もれていた僕は弱虫だったんだよね

 ガラケーで受け取るショートメッセージはメール送受信と同じような画面なのであの双方からの会話の吹き出しのような画面ではないのだ。私はこの十年ずっと文字数ギリギリまで書いていたのであった。受け取った方々はみな優しい人達のようで誰もその長さと読みにくさを指摘しなかった。本当にいいやつらだ。そして文明から遠く取り残されてしまった私が昨夏、そのことに気づいた。

 10年以上使っていたガラケー、ところどころにへこみがありでこぼこしている。私にとってその機種はついこの前なのだが、当時の学生にしてみたら人生の半分とか、もう子供のころとか、そんなものを使ってる私を見て「ものを大事になさるんですね」といっていたが、本当に言葉遣いを選ぶ方々だ尊敬する。そんな昔の!という気持ちだったんだろう。私も二十歳やそこらの時に「この手帳、十年前に買ったもの」と見せられたら、大昔だな、写真が白黒の時代だ、ニュース映画の人がシャカシャカ早歩きする時代のやつだくらいの感想は持ったと思う。

 桜井誠の流出で思い出したことをまとめた。

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