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肌を見せるアイドル

私は48グループのメンバーが服を脱ぐ事には反対、というスタンスです。

彼女や彼女たち自身を否定したいのではありません。その行為は彼女たちにとってのプラスにならない、と考えるからです。


ここは出現頻度が低くなるだろう、と言っておきながら頻繁に書いているのは私自身の嘘つき体質が主な要因だと思いますが、そこにほんのちょっとだけ、ストレスフルな48グループ界隈の現状があるから、と責任転嫁をしてはダメでしょうか。

HKT48田中美久が青年漫画誌のグラビアを掌握と表現できるほどに席巻しているのは48ヲタクならば知らない者はいないはずです。

そして美久が何故その服を脱いで自らの乳や尻の肌を見せる仕事をするようになったのか、その動機を理解しないヲタもいないでしょう。

HKT48の危機。
指原がAKB48グループから抜け、
兒玉がHKT48を離脱し、
宮脇と矢吹が韓国へ異動。
HKT48のエース級がごっそりと抜けた状況でHKT48の「顔」として立つメンバーは残された自分だけ。

美久が自ら望んだのではないグラビアというフィールドに服を脱いで立つことを決心させたのは彼女の責任感から、というのは私のようなクソヲタのレベルでも理解できます。
その危機感を利用して最も安易な方法で彼女を売ろうとしたマネジメントを批判するのは簡単ですが、それ以外の方法が田中美久に見出せなかったということも理解する必要はあるかもしれません。

ですが、マネジメント側が「彼女のその後」を考えなかったことは批判されても仕方ないでしょう。
考えたが、捨てた。という選択肢の可能性を含めてです。
実際に、田中美久の近い将来に服を脱ぐという仕事以外の何があるのかを確実性をもって想像できる人はどれだけいるのでしょうか。

今の田中美久には、服を脱ぐしか方法がない。
彼女はそういう場所に行ってしまいました。

「しまいました」というネガティブな表現。
グラビアというのは悪いものなのか。

私は、悪いもの、とまでは考えてはいません。
ですがポジティブなものとも考えていません。
何故ポジティブに捉えていないかという理由は、その先がポジティブなものに転じる可能性が低く、ネガティブな状況に陥り易い、と捉えているからです。
そのネガティブな状況とは、今はまだかろうじて身に着けている水着や下着すらも脱いでしまう、という状況です。

話の切り口を少し変えましょう。

HKT48のマネジメント側が選択し、田中美久が決意の下に断行した週刊誌の水着グラビア。
その目的は「HKT48のため」であっただろうと考えます。
それは週刊漫画誌を買う若い男性層にアピールし、田中美久の知名度を上げ、そこから田中美久のアイドル活動への興味を持たせ、HKT48へと誘導し、他のメンバーへの関心へと拡げていく、
という展開を考えたのでしょう。
それは誰でも考え至る簡単な展開です。

だが、果たしてそれは可能なのか。

否、それは不可能だ。

橋本環奈がそれを証明しています。
彼女はグラビア発信ではありませんが、「奇跡の一枚」によって社会現象と言えるほどに知名度を得た彼女ですら、所属グループ Rev. from DVL に好影響を与えることはできませんでした。
橋本環奈個人に興味を持つ者は彼女個人に興味を持っているだけであり、それ以外の者は同じアイドルグループに所属しているアイドルだろうと初音ミクだろうと同じなのです。
橋本環奈とは異なる「別人」でしかありません。

それは好きな娘が所属する部活の他のメンバーに興味を持つことはない、というだけの話なのです。

HKT48の運営はそれを知っているでしょう。
だからといって何もせずに現状のままでいることよりも、田中美久個人をグラビアで売り出し、彼女個人の売上を増加させてマネジメントサイドに金が入ることを選択するのは当然の営業でしょう。

それを知らずにグループのためと考え、震える手で服を脱いだ美久をただの商品と扱うなら、です。


そもそもアイドルグループに所属するアイドルを求める層とグラビアモデルを求める層は異なります。
旧ガイナックスの祖である岡田斗司夫氏は「ヲタ活は精神的なオナニーである」と断じました。悲しいですが、これは言い得ていると思います。
彼は精神的なオナニーと肉体的なオナニーという異なる欲求があるということを説きました。
週刊誌に掲載される田中美久の水着姿を求める層には異なる種類の層が存在するのです。
その二つを同時に持つ者がいないわけではないでしょう。ですがそれは稀な例であり、そこをターゲットとしてアイドルをグラビアに売り出すのは失策と断ずるに値する浅薄な思考です。

繰り返しになりますが、HKT48の運営はそれを分かっていないわけではないでしょう。
当時のHKT48はそれを選択せざるを得ない状況であったと理解するべきではないかと思います。

田中美久は2023年内にHKT48の活動を終了します。年明けに卒業コンサートを行うことを「1日だけアイドルに戻る」と表現しました。

そこから先に彼女はどんな道を行くのでしょうか。私個人的にはグラビアアイドルという仕事は続けて欲しくないです。
グラビアアイドルのその先には美久の身体を覆うものを全て取り払い、全裸になるやり方しかないと考えているからです。
実際にその道へ進み有名になっている48卒業生もいます。ですが私は美久にそうなって欲しいとは望みません。

グラビアアイドルから女優への道も有り得ないことではないでしょう。それを実現してみせた先輩女優の方もいないわけではありません。
ですがそれは日本の芸能史の中でも数名というごく稀な例であることは事実が証明してしまっています。

今の現実社会において肌を見せるという仕事を見下すという価値観は少数派ではありません。
その価値観が正しいか間違っているかという話とは別次元で、そういう価値観が一般的に多数であることは現実です。

ですが「アイドルグループのメンバー」という肩書きにはそれをほんの少し緩和する作用があるのも事実かもしれません。
バラエティ番組にアイドルとして出演するか女芸人として出演するかで評価が多少異なるということと同様でしょう。
見る側に「本業はアイドル」という意識のフィルターがかかるからです。

そのアイドルという肩書きのフィルターをなくしたグラビアアイドルという道の先は険しいでしょう。
それは芸能界で女優というカテゴリーで活動する前田敦子や大島優子よりも険しい道になるでしょう。
だから私は田中美久にはHKT48というアイドルの肩書きがなくなると同時にグラビアの仕事を止めて欲しいと望みます。
HKT48のためにその服を脱いだのなら、HKT48でなくなるなら服を着直して欲しいのです。

しかしそれは彼女自身が決めることでしょう。

私はただただ、田中美久というひとりの女性の未来が明るいものであって欲しいと願うしかありません。

HKT48のため、と考えてくれたその人の未来を祈ります。


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