改めまして

 東京で生まれて東京で育ち、就職したら3年の予定で地方に転勤させられたんですけど、78歳の現在まで居着くことになりました。幸か不幸かそんな環境に置かれましたことで、地方と都会を行き来しながら国(都会)を見つめて我が国の発展・低迷の変化を見極めることができたんです。
 ご承知の通り、地方のほとんどの取り決め事は都会(国・企業本社)主体で進められるものですから、地方での開発計画とか街創り計画とかなど地方のコンサルタントとして、都会の大企業本社や専門家と協調しながらその時その時を進めてまいりました。
 そんな立場からことを進める上で、地方の弱みや国や本社のミスリードなどの問題を知りますわたくし、その調整・修正に日夜奔走したものでございます。そんなこんなの長い経験を活かしまして、本投稿では
第一部:「おバカ国ニッポン」で、が国のおバカ度の検証からスタートし、
第二部:「大貧乏時代がやって来る」にて、これまでの長き貧乏時代からこれからの大貧乏時代を予測し、
第三部:「大貧乏時代をどう生きる」と続けて、そんな時代の生き方探しをご提示。さらに
最終編では「こう考え、こう行動したらこの時代も快適に過ごせますよ」
との解決策提供と進める予定だったのですが、その行き先をコロナに止められてしました。そこで改めまして田舎のコンサルタントが、コロナ明けの投稿を第三部からスタートしてまいります。そんなことしますのは、これからの大貧乏時代の快い暮らし方/働き方をご提案できる根拠を持てることになりましたから。それらを皆さんにお伝えしたくて、本投稿を続けています。
 
 大貧乏時代をどう生きる
Ⅰ.核化から集化へ
①時代の流れを読む
 我が国の戦後の経済成長期には、都会(東京)に集中した職場に地方は多くの若者を送り込みました。そんな若者たちはまず住み込みで働き、その後も一生懸命働いていずれは都会に家を建てて家庭生活を、と夢見たことは当然な未来計画と言えたんです。
 我が国では当時から経済政策として新築住宅の促進計画が進められ、若者の多くは都会で働くことで住宅を建てること、すなわち一国一城の主になることが日本男子の本懐と考えて皆必死に働いた。
 また経済成長時代には収入も上がり、住宅以外にも多くの電化製品などをも買い揃えられるようになったこと。そんなたくさんの物を買える人が成功者として社会に認められたことから、そうなることを望む労働者を全国から集めたという訳なんですネ。

 その後は地方にも大型製造工場が次々と建設され、地方の田舎から地方の都会に若者が移動することを促しました。それはまさに都会での行動が繰り返されたと言え、地方の田舎の自宅から地方の都会で働くために、独り住まい(寮・社宅、アパート)が選ばれるようになったんです。
 そんな若者の期待に応えて地方の都会周辺にもたくさんの宅地化発が進められ、家庭を持って生活するようになったことで、まさに都会のそれと同じ歩みを進めたんです。それは都会で進められた核化が地方でも発生し、まさに日本の核化は全国レベルで進んだことになりました。はい!
 
 しかしその後地方経済を支えた大型製造工場が海外に移転してしまったことで、地方の都会にも人口減少の波が押し寄せました。その結果として地方は、過疎化が進んで消滅予想地域を多数生んでしまったことになるんです。
その状況を茨城県の日立市で見てみますと、高度経済成長期には多くの日立製作所の工場が稼働し、市内の労働者のほとんどが日立及び関連企業に採用され、街も市民も大層潤った良き時代を過ごすことができましたもの。
 それが今や、将来の人口推移予測で2040年には36.6%もの人口減少が見込まれるぐらい、さびれてしまっているんです。その減少率は隣接する消滅予想地域と同じレベル、豊田市と並び称されたあの工業都市・日立市が、日立製作所の海外展開によって一気に過疎化してしまったという現実。
 若き頃、日立製作所を相手に商社マンとして大活躍?したわたくしにとって、まっこと寂しいとしか言いようがありません。そんな地域が全国にた~くさん、日本の半分(896)の市町村がなくなってしまう状況に置かれているということなんですネ~。
 
 その高度成長時代からおよそ50年、当時建てられた住宅のほとんどが耐震構造問題などで住めない化が進んで、その状況は地方ではもちろん都会でさえも空き家問題を発生させています。また買い替え需要を促す新家電製品によって、破棄される商品の増大が大きな社会問題になっています。
 経済成長期にはたくさんの商品が売れる核化は、ある意味正常な経済環境と言えたのかもしれません。しかし大量に生まれた商品の多くが、今や廃棄物としてごみ化してしまっている光景を見ておりますと、もはや時代は核化による大量消費の時代を終えて、集合化することで無駄を省く時代になっている。
 こんな時代の訪れとは、これまでの核散社会の終りを意味しており、これからは新しい時代の集合化社会の転換を促されていると判断してほしいのです。それがまさに現代人に求められている、地球規模で変わらなければならないSDGs的生き方と言えると思います。
 
 わたくしがこれからの大貧乏時代を好ましく生きる上で、大前提となるキーワードは《集化》と確信しています。そう言える根拠はこれからの大貧乏時代に、今までのような生活に関する全てを一人で賄うことは大きな無駄を発生させることになりますから。
 低収入が定着する時代には、極力出費を抑える思考が必要になります。それは核家族化によって国民の多くが分散購入した家、車・家電その他の所有物を極力共有化するで、出費を抑える努力が大貧乏時代には強く求められるからです。そんな物質的な問題以外にも、異常天気による夏場の電力不足の不安をどう解消したらよろしいのか。そこには電力もまた、共有する意識を持たなければならない時代になっているからとも言えるんです。
 
 あなたがもしこれからの大貧乏時代を好ましく生きたいと思ったら、核化意識をなくしてわたくしが申し上げる《集化意識》を持って下さい。もしそうできたら、多くの人がこれからの大貧乏時代でも好ましい生活スタイルを得ることができる。
 本文を引き続きお読み下されば、きっとわたくしの申し上げていることが、理解して頂けると思っておりますんです。はい!

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