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MBSダウンタウン 木曜日の茶屋町は治外法権

MBSダウンタウン???
そんな番組ねえよ、、、、だと????

あったんだよっ。
1990年ごろにっ、
毎週木曜日22時からやっとったんだっ。

「MBSダウンタウンっ」でオープニングスタートする深夜ラジオだっっ。

東京本格進出前夜

尼崎の下町から這い上がってきた松本人志と浜田雅功はライト兄弟というコンビ名で吉本の藻屑と化しそうになるが、すんでの所で「ダウンタウン」のコンビ名に改名しことなきを得る。
怠惰な尼崎の不良という地のキャラそのままの芸が受けて、若者を中心に関西圏で人気を獲得していく。
その人気が不動のものとなりつつあった1987年。
東京進出の登竜門たる「MBSヤングタウン」木曜日のメインパーソナリティーにダウンタウンが抜擢された。

抜擢されたといっても、その時点で人気実力ともに他の曜日のパーソナリティを凌駕するものがあった。


1990年前後のMBSヤングタウン・メインパーソナリティ

月曜日 Mr.オクレ、
火曜日 嘉門達夫、
水曜日 野沢直子、根本要
木曜日 ダウンタウン、youなど
金曜日 今田耕司、東野幸治
土曜日 北野誠
日曜日 西川のりお

さっき東京進出の登竜門だと書いたが、なんだか違う気がしてきた。
これはさすがに違うだろ。
むしろ姥・・・・・・・


MBSヤングタウン

当時中高生を中心に深夜ラジオの王道をいっていたのが、「MBSヤングタウン」であり「ヤンタン」の略称で親しまれていた。いまもきっと多分親しまれているんじゃないだろうか。
22時から24時と深夜ラジオというにはいささか早いが、それでも小学生に毛が生えた中坊のワタシは深夜ラジオを聴いているという行為そのものにえもいわれぬ快感を覚えたものだ。

中学校にいっても「昨日のMBSヤングタウン」が話題になり、聞いていないとクラス八分になるほどのパワーコンテンツだった。
ワタシもコミュニティー障害さえ患っていなかったらヤンタンネタでクラスメートと打ち解けられたのにと、かえすがえす悔やまれる。


生放送という昭和の置き土産

このMBSヤングタウンは大阪茶屋町でなんと生で収録していた。
いわゆる生放送である。
これは当時としても珍しかったのではないだろうか。
当然、生放送ならではのハプニングが数多起こった。
わけてもダウンタウンのお二人がメインパーソナリティを務める木曜日はハプニングの玉手箱といった様相だった。



プロ野球試合延長まで放送という昭和の掟


MBSではラジオ・プロ野球中継阪神戦を絶対に試合終了まで放送するというドグマがあり、熱狂的な阪神ファンはラジオに齧り付いていたものが多い。
よせばいいのに最後まで「猛虎魂で10点差をひっくり返す」と頑なに信じ、ラジオに齧り付いている虎キチが相応にいたのだ。



牧歌的なヤングタウン

このプロ野球中継無制限延長の煽りをもろに受けたのが「MBSヤングタウン」だ。
生放送であるから、茶屋町のスタジオでパーソナリティたちは待機しなければならない。
阪神戦が終わるまで待てど暮らせどしなければならない。
阪神が好きな芸人さんならばまだ大丈夫。阪神を遠く茶屋町から応援しながら太平楽な気持ちで少し開始が遅れたヤンタンに臨める。
だが阪神ひいてはプロ野球そのものが嫌い、いやむしろ憎んでいる芸人さんともなると様相は一変する。


日付をまたいでの大激闘、汝の名は泥試合
 1992年、阪神の大躍進

1992年の阪神は強かった。
粘り強く戦い。5月を過ぎてもAクラスに踏みとどまっていた。
ここでは大急ぎで注釈を取り付けねばなるまい。
5月を過ぎても阪神がAクラスに踏みとどまっていたのは、1986年以来6年ぶりの快挙であり、虎党は沸きに沸いていたのだ。
6月のある試合のこと。
ここでも阪神の粘り強さが輝いた。
1点ビハインドの九回裏に大洋ホエールズからかっぱらってきたパチョレックが値千金のタイムリーヒットで同点に追いついた。
ここでは大洋ホエールズについての説明は割愛す。
だがそういえばこの時の対戦カードは阪神タイガース–大洋ホエールズだった記憶もあるねえ。




 助演・パチョレック、真打ち・真弓明信

さて話を本筋に戻そう。
パチョレックの九回裏同点タイムリーがこの試合の序曲といえるから、いかにこの試合が凄まじいものだったかが垣間見て取れよう。
著者だってその興奮で記憶が飛んでよく覚えていないほどだ。
とにかく、12回裏か15回裏に「真弓明信の超ボテボテゴロが雨でドロドロの三遊間に止まるという奇跡のタイムリー」で阪神が勝ったんだ。
この時ぐらいから「代打の神様・真弓明信」の呼称が定着したようにも思う。

この「真弓明信の超ボテボテゴロが雨でドロドロの三遊間に止まるという奇跡のタイムリー」は既に日付が変わった時刻の話であり、試合開始は木曜日だったのに試合終了が金曜日になっていたという奇跡も起こった。
15回までは決着するま絶対に試合を行うという昭和ルールのなせる技でもある。

 25時開始MBSダウンタウン

真弓明信のヒーローインタビューが終わったのが木曜24時半ごろ。
おおもうとっくに金曜日よであり、ヤングタウン木曜日は金曜日になるのが確定しちまった。

こうした状況下で運命のMBSヤングタウン木曜日の幕が切って落とされたのだ。


パチョレックにキレる


「MBSダウンタウン」
普段ならばこうした厚顔不遜なオープニングで木曜日の「MBSヤングタウン」は始まる。
ところがどっこい、この日はどうにもこうにも様子がおかしい。

オープニングアナウンスが無い??どうしたダウンタウン???

と思ったら、こんな声が飛んできた。
「あの○○公、打つなやっっほんまにっっ」

確かにパチョレックが打たなかったら九回裏で試合は決着して、標準仕様の22時からMBSヤングタウンは開始できていただろう。
そういえば、このとき3番のオマリーが敬遠で歩かされ、4番パチョレック勝負でタイムリーだったんだ。
なるほど、これが伏線になってあの「八木裕、幻のホームラン」の試合へと因果がつながっていくんだね。


牧歌的な昭和からコンプライアンスの平成に

オープニングの「MBSダウンタウンっっ!!」
パチョレックへのブチギレっ

これは深夜ラジオならではのラフプレーであり、牧歌的だった昭和の残り火だといえよう。

平成になってコンプライアンスというものが大手を振るうようになったが、平成という元号が形無しだった。



MBSダウンタウンという叛逆

平成になりコンプライアンスというものが何故喧伝されるようになったのか?

説明しておこう。

2000年ごろから年次改革要望書というアメリカが日本に出す実質的な命令書により、
日本国内の弁護士数が倍増以上してしまった。
すると弁護士数が飽和して仕事が足らなくなる。
そこで法令を遵守していない企業ないし個人に対し四角四面に法律を適応させて食い詰めかけている弁護士を救済したのだ。
この手段がメディアによる「コンプライアンス」シュプレヒコールキャンペーンだったのである。
つまり別に我々が望んだ社会ではなく、ただ単にアメリカがやりたいように日本を「構造改革」しただけだ。


どうにも、今のコンプライアンス猛々しい世界は堅苦しくて好きになれない。
ここは〇〇公の国かっっ。


いいじゃないか。


「MBSダウンタウンっっ」でっ。

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