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ジュンク堂書店の衝撃波昂し 堂島アバンザ大阪本店

大阪は堂島のジュンク堂とは長い付き合いになる。
かれこれ四半世紀越しの付き合いだから、若い人達にとって大昔のおとぎ話の幕がいつの間にか切って落とされていた訳だ。
悪いねえ、、むかしむかしウヒャヒャヒャ、、、


大型書店中興の祖 汝の名はジュンク堂

あれは1997年だったはず。
肥後橋駅前でとあるバイトをやっていた時、大阪梅田と肥後橋の往来の途上でジュンク堂と邂逅したんだ。
1997年当時において大型書店は物珍しくかったので、本好きのワタシは途端に惚れてもうた。
確かに大阪梅田駅前には紀伊國屋という大型書店の「大御所」があらせられたが、ジュンク堂はひときわ異彩を放っていたんだ。
その異彩の正体は、

木人拳かよ(賢者の椅子)

異彩の正体は、、
「椅子に座って本を読める」というところだった。
今でこそあたり前になった感すらあるが、四半世紀前つまりは1900年代においては、本屋で座り読みどころか「立ち読みすら許・さ・ん」という空気があったんだ。
だから、だからこそ、
ジュンク堂の「どうぞどうぞ座って本をゆるりと読んでくださいな」というフワカワなスタンスは斬新奇抜なものだった。


肥後橋までは歩くだろ

大阪梅田から肥後橋まで、筆者がバイトのため額に汗して歩いていたことはすでに述べた。
ここではなまじ大阪圏に土地勘のある読者から次のようなツッコミが予想される。

「四つ橋線乗れよ!」

確かに四つ橋線の西梅田から地下鉄に乗れば肥後橋までひとっ飛びだ。
しかしそんな短距離で150円(当時)を浪費するのは如何なものだろうか。
あにはからんや1997年といえばバブルが弾けそこにアジア通貨危機が勃発し、ひいては消費税増税が加わり日本経済が第二か第三か第四か第五かもうわかんないぐらいの敗戦を迎えた時期に合致する。
特に消費税率の引き上げは、
まさに「嵐の中で雨戸を開く」であり、橋本龍太郎が憎くて憎くて憎くて憎くて、、故人だったので自粛しよう。

まあ肥後橋まで歩いたのは、交通費を出してもらってそれを丸々ネコババするのが主眼だったかも。
もしもしホットラインって書いてみただけ。


ガリレオ覚醒

肥後橋でのバイトはエキサイティングなものだった。
それまで実験室で量子力学の最先端を塗り替えて塗り替えて塗り替えていたワタシだったから、世事に疎く性にも疎かった。
だから生物学的人類の半数が女性だってことに気づいていなかったんだ。
大学にて掃除のおばちゃんと話しをするくらいで頬が朱に染まるぐらいウブだった。
今もだけど。
肥後橋のバイトは女性がなんと8割を占めるというゴージャスな桃源郷だった。
驚いたねえ。

こんなに綺麗な人がいるんだ🎵こんなに綺麗な人がいるんだ🎵
こんなに綺麗な人がいるんだ🎵こんなに綺麗な人がいるんだ🎵
君はどこに隠れていたの🎶

毎日毎日毎日、大脳辺縁系海馬宙域でシュプレヒコールが巻き起こっていたっけ。
あの薔薇色のバイトがなかったら、ワタシがリアルでガリレオになっていたんだけどねえ。


ドトールという超新星

若い人たちは信じられないかもしれないが、当時スターバックスなんてものはなかった。
カフェという言葉もあったかどうかも怪しいものだ。
「喫茶店」というフレーズがスタンダードでカフェは相当に洒落たセリフだったんじゃないかな。
いけすかない野郎が使う言葉って今でもあるでしょ?
それの1997年版が「カフェで茶シバク」だったわけよ。

そんなカフェという概念の解像度が低かった1997年に超新星のごとく登場したのが「ドトールコーヒー」だった。
これはねえ。
彼女が突如としてドトールでバイトし出したからよく覚えている。
おいおい、ガリレオの出来損ないは研究室で量子力学の最先端を塗り替えて、塗り替えて、塗り替えていたんじゃないかというツッコミがまたも予想されるが、それ若干フィクション入っているから。

ドトールの登場は衝撃的だった。
それまでの喫茶店といえば「後払いで長居は許さん」というスタンスだったのだが、ドトールは先払いで「ノンビリして下さい」というスタンスで人気を博した。
このフワッとしたスタンスが極めて斬新だったわけだ。


空間を売る、、の端緒はドトールとジュンク堂にあり

先ほど述べたジュンク堂での「座ってノンビリ読んで行ってくださいな」というスタンス。
そして今のべたドトールでの「先払いでノンビリくつろいで行ってくださいな」というスタンス。
これは読者諸氏も気づいたように「スタバ」の先取りだった。

「空間を売る」だったり「スタバ時間」というものが今やスタバの専売特許として語られがちだが、実のところその端緒は日本企業たる「ドトール」と「ジュンク堂」にあるんじゃないかねえ。


どんなに時が流れようが、人の営みに大きく変わるところはない

平成10年、西暦1997年7月。
大阪は堂島におけるジュンク堂の出現が衝撃的だったことはすでに述べた。

ワタシはワタシのために設られたといっても過言でないイスで本を読み漁ったのだ。
ちなみにこれを賢者の椅子と命名しているけど、この通称が満天下に行き渡る時が来たらいいなあ。

座り読みが解禁になり、そりゃあ目を皿のようにして堂島アバンザで本を読み漁ったもんさ。
難解極まる書籍を座って読めるってのはパフォーマンスを飛躍的に向上させるからね。


であるから、よって、然る後、、よしんば、、あわよくば、、、さりとて、、、さもありなん、、、、或いはそれ以外、、、、、、


この時期に語彙を蓄えに蓄えに蓄えたという自負があるねえ。



鈴木システムという万古不易


どんな本を読んだか?



ココセみたいな、いい質問ですねえ。






鈴木大介雀士の書いた将棋書籍

25年前も、おめぇ、同じような本出してたろ(笑)


「将棋は最後に振り飛車が勝つようにできています」
「急戦には▲5七金」「居飛車穴熊には▲6六銀」


って25年前も同じこと言ってたじゃねえか(笑)

コピペかよ。

さっきパラパラとめくったら、ココセも質量ともに健在じゃねえか(笑)
四間飛車編から始めて様子を伺って三間飛車編出版の是非を検討するのも同じじゃねえか(笑)
これが鈴木システムの正体かよ(笑)
かれこれ50冊ぐらい買ったっちゅうねん。

おめぇ笑ってる場合か(笑)
ぜんぜん変わってねえなあ。


鈴木大介Mリーガーって、、、
麻雀ばっかやりやがって、もうちょい将棋やってりゃ(略)

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