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母は強く、父は賢し/文明論の凱葉

強がりが雪に轉んで廻り見る

両親は偉大だ。
40の声を聞き過ぎたいま、つくづくそう思わされる。

親は子供に教えなければならない。
自分はどこから来てどこへ行くのかを。

親は子供に教えなければならない。
自分は一体何者なのかを。

だが親自身もそれを知らない。
自分はどこから来てどこへ行くのか?
自分は一体何者なのか?
親だって知らない。



自分という最大の謎

その自分たちすら知らないことを子供に教えるのだ。
教えたからこそ子供は紆余曲折を経ながらも育つ。

子供は、
自分とは何かをぼんやりと知るから、自分というものを育むことができる。
子供は、
自分がどこから来たかをぼんやりと知るから、どこかへ行くことができる。

親は自分たちすらわからない自分という概念を子供に伝える。
だから子供は自分を生きることが出来る。

だから両親は偉大なのだ。

自分とは存在するのかどうか最も怪しい概念だ。
なぜなら自分とは世の中で唯一見えない存在だからだ。

太古、
4本足で地表を這いずり回っていた人類には自分という概念がなかった。
世界で唯一見ることのできない自身を認識できなかったのだ。
世界の真ん中には何かがいることはわかったが、それが何なのかはわからなかった。

時がやや下り、
2本足歩行を始めた人類は、フリーハンドを得ると同時に、両腕という「自」につながるヒントを得た。
目に見える両腕が大きなヒントとなったのだ。


目の前に広がる両腕の根っこには一体何があるのか?


この問いから敷衍して、世界の真ん中にある自を世界から分けた。
目に見える世界から分けた、世界の真ん中にある見えないもの。


自分。


人はそれをそう名付けた。

自分はどこから来てどこへ行くのか?
自分は一体何者なのか?
自分を解き明かす旅は、この時に始まった。



文明、自分を解き明かす旅路

子供は、
自分とは何かをぼんやりと知るから、自分というものを育むことができる。
子供は、
自分がどこから来たかをぼんやりと知るから、どこかへ行くことができる。

親は自分たちすらわからない自分という概念を子供に伝える。
だから子供は自分を生きることが出来る。

少しづつ、少しづつ、
親から子へ、子から孫へ、
「自分」というものの謎が少しづつ解き明かされ、伝承されていく。

これが文明というものなのではないだろうか。

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