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ホームレスシティのすゝめ/コンパクトシティの超克

コンパクトシティには問題が山積している。
郊外と駅チカという貧富の格差を大前提に、
インフラ整備を駅チカに一点集中させて行政効率と企業効率最大化を至上命題にする。
国民国家というスケールでみた場合、このやり方には持続可能性が全くない。

そこでホームレスシティだ。
コンパクトシティの勢いを駆って、持続可能性のあるシティを構築するのだ。

コンパクトシティという計画経済

コンパクトシティには計画経済の要素が強過ぎる。
確かに行政がやっているのは駅チカでのインフラ整備であって、企業を力づくで駅チカに持ってくる類いの計画経済ではない。
インフラ整備によって駅チカの利便性を向上させて、モノ・ヒト・コト・カネを駅チカに自然吸引しているのだ。

しかもその行政政策を選んだのは、民主政体においては主権者たる市民ということになる。

だがどうだろうか。

これだけ露骨な駅チカ優遇政策を、郊外の人々が本心から望んでいるのだろうか。
そんなはずはあるまい。
駅チカのインフラ整備は、それを通勤などで利用する郊外の人々にとっても利がある。
だからそれをほどほどに支持したのだが、これほど露骨なものになるとは夢にも思っていなかったはずだ。

さらにはコンパクトシティ化が相応に進行したいまでは、郊外から駅チカに人口が移転して、マイノリティー少数派の郊外/マジョリティー多数派の駅チカという峻別が鮮明になってきた。
こうなるともう多数決を要諦とする民主政体において、郊外の声は反映されない。
どんどんどんどん郊外から駅チカへと、ヒトがモノ・コト・カネをともなって吸い寄せられていく。

だからコンパクトシティの流れは加速することはあれど、減速することはまずない。
民主政治体制というものは、突き詰めれば多数派による計画経済専制なのだ。




ホームレスシティ完成間近

コンパクトシティにおいては人々の自治体への帰属意識が希薄になっている。
駅チカだけで生活ひいては人生すらも完結するため、郊外にでる機会がめっきり減っているからだ。
同じ自治体の郊外よりも、電車に乗って都心に出る機会の方が圧倒的に多い。
これでは帰属意識が生じるはずもないし、同じ自治体の人々との紐帯も強くなろうはずもない。

コンパクトシティ化によって、
自治体という家を人々は失ってしまったのだ。
つまりホームレスシティは既に完成しつつある。
なんのことはないコンパクトシティ化とホームレスシティ化は表裏の関係にあり、同時進行していたのだ。


では紐帯なき時代ホームレスシティにおいて、我々はどう生きればいいのだろうか。



人、物、情報、金の陳腐化コモディティ

山から川が流れ、ダムが水を堰き止め、洪水の氾濫を防止している。
それすらも明治維新以降につくられた人工風景なのだが、この治水構造すらも知る者はもはや少ない。
コンパクトシティ化とAI管理体制が本格化するこれからは、治水構造なんぞは知る人ぞ知るトリビア化すること請け合いだ。

ヒト・モノ・コト・カネは駅チカと他の駅チカで有機的に結びつき、経済効率を最大化させていく。
人は駅チカの家に住むが、それは単に住むだけであり、他人様との紐帯とは無縁のヒトとなっていく。
物も駅チカのヒトに付随するが、使い捨てで人が愛着を持たないモノとなっていく。
個人情報コトはサイバー空間や駅チカの監視カメラで一網打尽にされ、一握りだけが掌握するコト情報になっていく。
金は1970年のニクソンショックによってゴールドとの兌換が停止され、とっくの昔にカネに落ちぶれている。

かくしてコンパクトシティ化の潮流の中で、
人、物、情報、金はヒト、モノ、コト、カネへと陳腐化・記号化されていく。




文明の逆行

コンパクトシティ化が進行する時代においては、
人、物、情報、金という確固たる概念はなくなり、
ヒト、モノ、コト、カネという希薄な概念しか存在しなくなる。

概念とは世の中を解き明かすための共有認識コンセンサスである。
例えば「月」という言語共有概念は宇宙世界を解き明かすために欠かせないキーワードであろう。
コンパクトシティ化の時代にあっては、世の中を解き明かすための言語概念が希薄化していく。
人がヒトになり、物がモノになり、情報がコトになり、金がカネになる世の中ではむべなるかなだ。
これは世の中を解き明かす行為の逆行に違いない。
言語を用いて世の中を解き明かすプロジェクトを文明というが、コンパクトシティ化が文明への逆行だということがここにわかる。





乞食だらけの未来ホームレスシティへのプラチナチケット

文明に逆行するということが、昔に戻るということならば話しは早い。
我々が昔に戻れば、ヒトは人にもどりモノは物にもどりコトは情報にもどりカネは金に戻る。
すると希薄だった概念が確固たる概念にもどり、文明水準はありがたいことに向上する。

だがそんな美味い話しはない。


現在進行形でなされている文明の逆行は、昔に戻るという話しではない。
このまま言語概念が格調高く復活することはない。
コンパクトシティ化とAI化により概念の希薄化がさらに進行していくのだ。
人がヒトになりヒトが
😆になり、物がモノになりモノが🪈になり、情報がコトになりコトがℹ️になり、金がカネになりカネが💰になる。
どんどん言語概念が希薄化していくのだ。

国民総絵文字の世界はさほど遠くはない。

いまこうやって筆者は文字をキーボード打ちしているのだが、これは文字を意味のある文字ではなく意味の薄い絵として認識している趣きが強い。
これは言語概念の希薄化の一例に違いない。

つまりコンパクトシティ化は言語概念の陳腐化を招くが、
言語概念の陳腐化は言語体系が未整備だった昔への回帰ではない。

コンパクトシティ化による言語概念の陳腐化は、貧しき未来ホームレスシティへのプラチナチケットなのだ。

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