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タワマンか?イオンか?//貧困と極貧の哀しき二極化

2000年代初頭はイオンを象徴とする郊外でのライフスタイルが喧伝された時代だった。
だが2010年ごろから徐々にタワーマンションを中枢に据えて駅チカでのライフスタイルが見直されていった。
そしてコロナ事変を経て一体どうなっているのだろうか。
どうやら郊外と駅チカで大きな貧困格差を伴いつつライフスタイルの二極化が進行しているようだ。
今日はここらあたりを徒然なるままに語ってみよう。

イオンという夢の島

イオンに行けばなんでも揃うと言われていたのが2000年代初頭の郊外中心の生活だ。
週末には家族や仲間とボックスカーでイオンに乗り付け1日をつぶす。
大規模小売店法にまつわる規制が緩和されイオンが郊外に乱立してライフスタイルが大きく変遷した。
これにより駅前などにあった昔ながらの商店街は閑古鳥が目立つようになっていく。
00年代初頭は駅前から郊外へと生活ニーズが変化していった時期だ。
この00年代は同時期に政府が国家債務膨張を理由とし公共事業を減少させデフレ経済が定常化していった。
端的にいえば人々が貧しくなっていった。
そのため駅前商店街よりもモノコトを安く買えるイオン中心の生活は、各個の人々にとっては理に適ったものだった。


タワマンという夢の塔
 駅前ショッピングモールへの回帰

だが2010年代に入ると早くも潮目が変わっていく。
駅前に少なくない人々が回帰していったのだ。
駅前といっても以前の商店街ではなく「駅チカショッピングモール」に人々は生活基盤を求めた。

駅前商店街 →  郊外型イオン →  駅チカショッピングモール

大規模ショッピングモールが駅前にも進出し、通勤や通学の動線の中でショッピングが完結する生活に回帰したのだ。
以前の駅前商店街跡地に大きなショッピングモールがやってくるケースが多く、商店街が大規模小売店に付け替えられたといった風情だ。

だが以前と異なるところは明確にある。
従前の商店街には二つの高さが欠けていたのだ。
一つ目は建物の高さでありテナント面積が明らかに少なかった。
二つ目は値引率の高さでありイオンには価格面で太刀打ちできなかった。
この二つの高さが欠けていたため、駅前商店街は「価格が高く、そして狭い」というハンディを背負い郊外のイオンになすすべなく敗れたのだ。
だが駅前商店街につけ変わった駅チカショッピングモールはイオンに匹敵するテナント面積と廉価を誇り、人々を郊外から呼び戻す引力を持っていたのだ。



 タワマンという北極星

この2010年代における駅前ルネッサンスの象徴がタワーマンションだ。
駅まで傘をささなくとも雨に濡れることはなく、車がなくても生活ひいては人生すらも完結する新ライフスタイルの中でタワマンは目指すべき方角を示している。
その目指す方角というのが駅チカであり、駅前よりもさらに利便性の高いスペースを人々はこぞって求め出したのだ。
駅チカに商用施設も居住施設も密集させ合理化を図っていく。
いわゆるコンパクトシティ化が始まったのだ。

〜90年代    00年代      2010年代〜
駅前商店街 →  郊外型イオン →  駅チカショッピングモール

こう眺めてみると郊外型イオンの期間は僅かだった。
時代というほど長くはないが一過性というほど短くはない。
だから「期間」というのが適切ではないだろうか。
この郊外型イオンの期間に駅前から郊外へと生活拠点を移した人々の多くがいま岐路に立っている。



イオンか?タワマンか?貧富の二極化

 イオンの人々

一度生活拠点を郊外に移してしまうと、駅チカに戻ってくるのは一筋縄ではない。
ローンという呪縛が郊外から足を掴んで離してくれない。
郊外生活に車は付きものだ。
車なしでは郊外生活は成り立たないといっても過言ではない。
あまつさえ原油高騰のこのご時世にあっては車ありきの郊外生活はより重荷が増している。

安さを求めて郊外に出たにも関わらず、今では郊外に安さはない。
しかもローンの残った住居と金食い虫の車が残り、かえってその分だけ駅チカよりコストが嵩むありさまだ。

 タワマンの人々

他方、駅チカに生活圏を持っている人々はどうだろうか。
車がなくても生活を完結できるのが郊外との大きな違いだ。
徒歩10分圏内でスタバ、役所、ドラッグストア、ショッピングモール、ユニクロ、GU、H &M、スタバ、総合病院、大手家電、サイゼリヤ、派出所、無印良品、スタバ・・・
まあまずもってこれだけあれば困ることはない。
それくらいの施設は余裕で整ってなおプラスアルファがある程だ。

さらに都市中枢へのアクセスも段違いに良い。
最寄り駅までが平均徒歩3分で、そこから特急の乗り換えなしで10分かそこらで都心に到着。

このように、
金銭合理性でも時間合理性でも現時点においてタワマンはイオンを大きく上回る。



メディアによるライフスタイルの刷り込み
 郊外型ライフスタイルの刷り込み on TV

ではイオンの人々はこれからどうすれば良いのだろうか?
一念発起して、
郊外から駅チカに移住すれば良いのだろうか?

それはお勧めできない。

2000年代初頭にあった「郊外ライフスタイルのすゝめ」はテレビを中心としたメディアによってなされた「刷り込み」だ。
テレビドラマや映画の中で駅前商店街が汚らしく表現され、郊外生活が過度に美化して演出された。
それを見た少なくない人々が郊外型ライフスタイルを選択した。
結果、今や郊外型ライフスタイルを選んだ人々は忸怩たる思いを駅チカに向ける羽目になっている。
それだけテレビをはじめとするメディアによる刷り込みや洗脳というものは恐ろしいのだ。
大衆のライフスタイルをまとめて刷新させる力が備わっている。

 駅チカライフスタイルの刷り込み on MATANA

だから今盛んに吹聴されている「駅チカライフスタイルのすゝめ」だって10年後には怪しいものだ。
いま背伸びしたローンで駅チカライフスタイルを購入しても、それが10年後にも合理的である保証なんて皆無だ。

〜90年代    00年代      2010年代〜
駅前商店街 →  郊外型イオン →  駅チカショッピングモール

郊外型ライフスタイルに騙され、駅チカライフスタイルに騙され、
目に見えないペテン師に騙され続けるのはどうだろうか。

多くの人々が生活拠点を変えれば、買い替え需要が生まれ経済浮揚効果が生じる。

だから00年代の郊外型ライフスタイルへの変遷は経済を押し上げた。
ライフスタイルを変えた中間層が経済を押し上げたのだが、全体として概ね0%の経済成長に甘んじた。
したがって00年代の「郊外型ライフスタイルへの変遷」がなかったら、日本はマイナス成長が鮮明に可視化されていたんだ。

ここに上乗せして、
2010年代の「駅チカライフスタイルへの変遷」がなかったら、日本はマイナス成長が鮮明に可視化されていたと続けても異論は出まい。

要はこれだけメディアが新ライフスタイルの刷り込みを行って人々を右往左往させても、日本経済はゼロ成長が定常化しているのだ。
もっと言い換えれば、
日本国内に貧富の格差を作り出しても経済成長はゼロと侘しい結果が残った。


このようにメディアによる新ライフスタイルのすゝめ。
これに従って動けば動くほど人々は貧しくなっていった。
現下において郊外型ライフスタイルの人々が自動車のぶんだけ駅チカの人々よりも出血を強いられ続けているのが一例だ。
だからいま新たにメインメディアとなったMATANA米ITガリバー企業群の推奨する駅チカライフスタイルに飛び乗れば、10年後は更なる貧困が待っているのではないか。




イオンとタワマンいう貧困の象徴

00年代においては、テレビメディア中心に駅前から郊外への移動を促し、
中間層以下に出費を強いて経済をマイナス成長させないように苦心してきた。
2010年代以降においては、テレビとITメディアの合作で郊外から駅チカへの回帰を促し、
中間層以下に出費を強いて経済をマイナス成長させないように苦心してきた。

要は、
2000年代以降の日本は中間層以下の出費によって経済が支えられ、
中間層が貧困層に没落して富裕層と貧困層に二極化されることで経済はなんとかゼロ成長を維持してきたのだ。
だから目下日本には中間層の空洞化が起こっている。
もう日本に経済を浮揚させる主役になり得る中間層はほとんど残ってはいないのだ。
ここ20年で中間層以下が「すゝめ」にしたがって費消させた富は、資本家MATANAという海外超富裕層にそっくりそのまま吸収されていった。
富裕層自体がもはや日本にはいない。


その象徴が極貧のイオンと貧困層のタワマンという形になっていま顕著に現れている。



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