見出し画像

暴走族は何故増えているのか?/DQNの終焉

最近、暴走族が増えている。
もしかしたら、若い人たちには「暴走族」という言葉が伝わらないかもしれない。
「走り屋」といったほうがいいだろうか。

なんにせよ、車やバイクを夜更けに、
「ブオオオオオォォォォォォォォォォォオオオオオオオオンッブォッブォッブォォッッッオ」させる人たちの事だ。

路上版ジョジョの奇妙な冒険、それが暴走族。

「ジョジョの奇妙な冒険」の全盛期が昭和末期だったように、
暴走族の全盛期も昭和末期だった。
そして両者の全盛期はともに前世紀だったのだ()
やがて平成に入り、彼らは前世紀の遺物になったと思われていた。

ところが平成を飛び越し令和の御代となり、彼ら暴走族は還ってきた。

とびっきりのDQNを冠って。



コロナの鬱屈バラし?


長かったコロナが収束に向かっているが、コロナ期間の鬱屈が誰にも溜まっている。
多かれ少なかれ溜まっている。
特殊訓練をわんさか積んだワタシでも、目のかすみ、抜け毛、中折れなどの諸症状が見られる。
したがって、市井の一般人の方々にあられましてはさぞ大変なんだろうなとお察しする。

若者は特に鬱屈が溜まっているのではないか。
そして暴走族は若者がやるものと相場が決まっている。
だから若者たちがコロナ期間に溜まった鬱屈を暴走によって晴らしている、、
そう考えれば、このDQN暴走族の帰還・増加もある程度説明がつく。



何故、警察は動かないのか?

だが不思議なことがある。
昭和の暴走族というのは、警察と追いかけっこをするのが風物詩だった。
警察の執拗な追跡を、ときに巧妙ときに大胆なドライビングテクニックでいなす。
「待て〜〜!ルパ〜〜〜ン!!」のワールドである。

ところが令和の暴走族が警察と「待て〜〜!ルパ〜〜〜ン!!」したとは寡聞にして存じ上げない。
警察はなぜかDQN暴走族を追っかけないのだ。

何故だろうか??


監視体制の確立 〜ゆとり検挙〜

昭和と令和で大きく異なるのは監視体制の拙巧だ。
昭和において路上の監視カメラなどは類稀で、まずお目にかかれなかった。
だから、監視カメラで証拠を上げる「ゆとり検挙」というわけにはいかなかったのだ。
したがって、昭和においては現行犯で暴走族を摘発しなければならかった。

翻って令和はどうか?
平成末期から、急激に路上の監視カメラ数が増加している。
結果、もはや現行犯でなくても、監視カメラで証拠を上げる「ゆとり検挙」で事足りるようになった。
だから警察はDQN暴走族を追わないのだ。
これは怠惰なようだが、賢明なやり方だ。
直接追跡すればDQN ()たちは蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う。
すると民間人に大きく害が及ぶ確率が高くなる。
これは絶対に避けたい。
DQN ()のために多くの民間人が身体的な怪我をするなんて、なんて馬鹿らしいことだろうか。

警察としては、もっと賢明な方法がある。
それが「DQN () たちを相応の期間泳がせておいての一斉検挙」だ。
これは低コストで高いリターンが期待できる。
なんたってDQNだから増長するのも速い。
仲間を誘い、膨れ上がり舞い上がり、より速くよりDQNに、となったところで「お縄」である。

これが警察の描いている青写真なのではないか。



DQNの終焉 〜昭和の仇を令和で〜


昭和の暴走族は団塊ジュニア世代が主力だった。
そしてそれから30年そこそこの星霜を経て、DQNの再生産が行われている。
貧困の再生産といったものだが、同時並行でDQNも相当数が再生産されていると筆者は見る。

丁度、団塊ジュニア世代の子女が20才に差し掛かろうという頃合いだ。
DQN暴走族は、親父さんたちの負のレガシーを受け継いでしまったのではないか。

警察サイドとしては、昭和に取り逃がした暴走族をいまこそ検挙してやると鼻息も荒いはずだ。


監視体制は、
     整いました。


今回はもう取り逃がしようが出来ないほどに、監視体制が緻密に構築されている。
DQN ()が何故そこにわざわざ飛び込んでいくのか、ワタシにはさっぱり理解できないが、それがDQN ()たる所以なのだろう。

昭和から令和へ、
シン世紀を飛び越えた大捕物。


お前らはすでに、終わっている。



(未完)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?