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銀河英雄伝説 Legend of Legends

銀河英雄伝説りゃくして銀英は田中芳樹原作の小説でありアニメであり映画でありオペラでもある。
1982年に連載がスタートして40年を過ぎたが、根強いファンとお隠れファンがおよそ無尽蔵に存在する稀有な作品だ。
今日はこの銀河英雄伝説について語ってみよう。

アムリッツァ会戦というアヘン

ここまで読み進めてくれた読者には細かいアレやコレやは早くも必要あるまい。
様々なコンテンツに広がっている作品であるが、アニメ版を主体として話しを進めていこう。

銀英は自由惑星同盟のターンがメインであり敵対する銀河帝国のターンはおまけである。
基本的に帝国のターンはスキップして鑑賞するのが銀の弾丸だ。
だが同盟と帝国の会戦ターンは見応え十分であり、帝国ターンを見ていなくても会戦を十分に楽しめる。
いやむしろこの「同盟と帝国の会戦」こそが見所の中の見所であり、ここを見ずして銀英は語れない。
わけても「アムリッツァ会戦 」は白眉であり、これを見ずして銀英を語ってはならない。

宇宙暦796年/帝国暦487年、イゼルローン要塞を陥落せしめた自由惑星同盟軍はその余勢をかって帝国領に大挙侵攻したが・・・

で始まるアムリッツァ会戦は血湧き肉躍る展開の境地だ。
ここを見たらば銀英の虜になること請け合いである。


新世界

銀英では音楽がすこぶる効果的に用いられているが、このアムリッツァ会戦ではドヴォルザークの「新世界」がこの上ない効果音楽となっている。
この「新世界」には凄まじい数の含意が付与されている。

① 10万対10万というかつてなかった規模の戦闘
② 帝国が大勝しパワーバランスが初めて圧倒的に偏る
③ 会戦中に皇帝が後継を決めずに崩御し「新世界」が到来する
④ 指向性ゼッフル粒子という新機軸兵器が投入され戦争のあり方がガラリと変わる

ざっくり思いつくままに書いてもこれくらいはいく。
とにかくこのアムリッツァ海戦によって「新世界」が到来し銀英は疾風怒濤の展開を見せるのだ。
その新世界の到来にうってつけの音楽が「新世界」だったというのがまた心憎い限りだ。



小椋佳というグレートスパイス

エンディング主題歌は全編を通じて「小椋佳」が担当している。
スペースオペラに小椋佳という組み合わせは異様にも感じられるが、聴いてみれば誰もが納得する。
なんとも作中世界のイメージにドンピシャである。
いやむしろ小椋佳の音楽観によって銀英ワールドが規定されている部分がすこぶる大きい。

「光の橋を越えて」「旅立ちの序曲」「歓送の歌」
どれも劇中における同盟側のリベラルでありながらどこか悲壮感漂う雰囲気を創り出してくれている。



名言の宝箱

「思うのは自由でも、話すのは自由じゃないってことさ」
「楽をして勝つためなら、絶対に手を抜かない」
「酒は人類の友達だぞ。私はこれから友達を救出に行くんだ・・・」
「人類の思考の潮流は大きく分けて二つある・・・」
「国家が社会的不公平を放置しいたずらに軍事を拡大し・・・」
「攻勢ではありません、、大攻勢です!!!!」
「かくて日は沈み、一将功ならずして万骨枯る」
「残念だがこれは30歳以上の祭りなんだ」
「もちろんジョークだよ」
「政治家が賄賂を取ることは政治家の腐敗に過ぎない・・・」

などなど実用的な名言がポンポン飛び出すところも銀英の魅力である。
短くすぐに使えるフレーズから、
長いが使いこなせれば人間的深みを醸し出せるレトリックまで幅が広い。

また名言の数も同盟側へと完全に偏っているのは気のせいだろうか。
上述した名言はすべて同盟側発のフレーズであることが何よりその証左とはいえまいか。



政治経済


銀英の特徴は政治経済についても精緻に描写されていることだ。

「戦術は戦略に従属し、戦略は政治に、政治は経済に従属するってことさ」
と劇中で語られるように、戦争というものは強い経済があってこそ行えるものだ。
だから内政政治で砂鉄し経済が疲弊してしまうと戦争どころではなくなっていく。
とりわけ劇中で同盟はポピュリズム(衆愚政治)に陥っており、政治の怠惰が経済の疲弊へと侵食している真っ最中だ。
つまりは民主政体の欠陥が今まさに浮き彫りになっているというフェーズで劇中世界の幕が切って落とされるのだ。

このように銀英は政治経済について造詣を深めるのにも必ず一役買うコンテンツだ。



フェザーン自治領と宗教

第三の勢力としてキャスティングボードを握っているフェザーン自治領の存在も見逃せない。

同盟:フェザーン:帝国 = 40:10:50

概ねこれくらいの力関係で銀英はスタートする。
この時フェザーンがその力を同盟に肩入れすれば、「50:50」となり均衡がとれる。
こうしてわずか10%だがその影響力はめっぽう大きいのだ。
だが、
上述した「アムリッツァ会戦」にて同盟が大敗すると次のようなパワーバランスに移行する。

同盟:フェザーン:帝国 = 30:10:70

こうなってしまうとフェザーンが同盟に肩入れしても、「40:60」でありもはや均衡がとれているとは言えなくなった。
フェザーンとしては同盟に肩入れしても帝国に抗えないので、新たな戦略を採る必要に迫られたのだ。
だからこのアムリッツァ会戦以降において物語は疾風怒濤の展開を見せるのだ。

さらにフェザーンは宗教と密接に結びついており、宗教権威の復権を密かに狙っている。
このフェザーンターンもスキップして鑑がちなターンではあるが、じっくりと鑑賞したらば示唆を得られるはずだ。


戦闘描写のお手本

「“”2万対4万“”と我が方は数だけ見れば不利だが、叛乱軍は愚かにもその戦力を3つに分散させている。つまり局地的に見れば“”2万対1.3万“”と我々が圧倒的有利だ。ゆえに数で劣る敵艦隊を各個に撃破していけば自ずと我が方に勝利を手繰り寄せることができよう」

劇中冒頭で金髪の小僧ラインハルトが能書きをたれるが、この理路が洗練されており透き通るような声もいい。

銀英ではこのようにディテイルにこだわった戦闘描写が理論に基づいて繰り広げられる。
それまではSFといえば「宇宙戦艦ヤマト」のように、状況は作者でも把握していないだろうけど波動砲で勝っちゃった的なノリだったのだが、銀英はそれを実力で否定した。

戦術と戦略というものの差異を明確にし、それぞれを厳密に定義しているので戦争というものの本質が見えやすくなっているのだ。



声の力

この銀河英雄伝説ほど声優さんの個性と才覚が発揮された作品は他にないはずだ。
まず主人公のヤンの声が特級品。
軍人とは思えない穏やさだが、その穏やかさで精緻な軍略を語るシーンはその穏やかさゆえに静かにだが確実に戦争の冷酷さが伝わってくる。
またヤンの戦争を離れた日常において穏やかでどこまでも優しい声は、劇中で一服つける清涼剤としておあつらえ向きだ。
帝国陣営ではロイエンタールの声が白眉である。
どこまでもナルティズムを突き詰めたキャラであり、歯が浮くような言い回しが服を着て歩いているような奴だ。
だがこのロイエンタールの声がいいっっ。
ラインハルトに匹敵しうる戦略眼を持ち、眉目秀麗で浮き名を流し続け、戦術的にも「帝国軍の双璧」の一人に数えられる。
ハイスペックの極みであるロイエンタールの声を演じられるのはこの声しかいない。
そんな声優さんがいたことが奇跡であろう。





終わらない宴

このように銀英は語り出すと止まらなくなるコンテンツである。
ナレーションの卓抜した語りやタイトルの秀逸さ、後世の歴史家という神がわりの超克的な視点、そして80年代に作られたとは思えない秀逸なオープニング映像などもいずれ語らなければならない。



銀河の歴史がまず1ページだ。

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