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川越つばさの気まぐれエッセイ

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川越つばさの、書きなぐり書きちらし書きっぱなし出任せエッセイ集。内容は、常識に背くような大衆や世間様に迎合しない、あるいは、世の中をナメたような内容になります。石を投げられ白い目…
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#老子の言葉

イエスさま激おこぷんぷん💢言うだけ~見せるだけ~の人【きまぐれエッセイ】

偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。[マタイ23:25] 『陰徳積善』 善行って、人に見せるためにやるものじゃないんだから、他人から評価されようがされまいが関係ないし、「あたし、善行やってます」なんてアピールしてる時点で、それって善行じゃなくてただのパフォーマンス、見世物だよね。グループで「ヨイコトヲヤリマセウ」なんてタスキかけて、おそろいのTシャツ作っちゃって、善行集団パフォーマンスの

埋め戻しの法則【きまぐれエッセイ】

天道は公平無私 貧富の差は、たとえば掘削現場の残土と穴の関係のようなものだ。 もともと平らだった地面をかっぱいで山を築いたようなもの。 かっぱいで山をつくったんだから、穴はいずれ埋め戻しをするのが道理である。 その道理を踏み外して掘りっぱなし、やりっぱなし、そして余っても出し惜しみするのだから貧富の差が縮まることはない。 出し惜しみする人は、カネやモノだけでなく、無形のもの(知識、知恵、気持ち)すら出そうとはしない。 道(タオ)の働きにより、いずれ地は平らかになる。

そのまま、このまま、アホのまま。ありのままがアホのまま、アホままがありのまま。【きまぐれエッセイ】

柔弱の徳 水の譬えを出すまでもなく、柔弱なものが剛強なものに勝つことは、誰もが知っていることではあるけれど、それを実行する者は誰もいない。 あたしの知る限り、世の中のほとんどの人間は、ハートでなくアタマで生きているからだ。記憶の世界に生きているから、インプットされた憂世の常識に洗脳されているから。他人の目を気にし、不利な立場に立つことを嫌い、劣等感の反動から優位に立とうとする。 人はみんな、大きいもの、固いもの、強いものが優位だと思い込んでいる。しかし、これはとんだ勘違い

内なるいのちを大切に【きまぐれエッセイ】

世の中には、政治がうまくいっている国とそうでない国がある。悪い政治とは、まるで民衆が貧困に苦しみ、毎日が地獄のように感じるような状況を作り出すことだ。これは、政府が税金をむさぼり取って、民衆を支配しようとすることで起きることが多い。しかし、これがまるで健康維持のために、やたらとサプリメントを摂取し、怪しげな健康法や民間療法に頼る人々の姿に似ているのは興味深い。 ここで、ある実話を紹介しよう。以前、フィンランドの保健当局が栄養指導や健康管理の効果について科学的な調査を行ったこ

人の裁きより、天の裁き【きまぐれエッセイ】

ある正直商人(あきんど)の末路 正直者がバカを見る時代を生きのびてきた正直者の商人が、正直(まじめ)に生きることがだんだんバカバカしくなってきた。 なぜなら、詐欺まがいの売り込み口上でどんどんモノを売って儲けている同業他社に比べてうちは昔ながらの商売のやり方をしているのに売り上げが上がらないからだ。 こんな世知辛い世のなかでキレイゴトはいっていられない。 生きるためには多少のチョンボも仕方ない。 インチキ商売をやっている輩に倣って、いつしか自分にも他人にも不正直に生き

老子も愚痴る【きまぐれエッセイ】

褐を被て玉を懐く。 錦のココロで襤褸を着る。 己の賢知をあらわさぬ謙徳をたたえる。 ボロは着てても心の錦、どんな花よりきれいだぜ♪ [水前寺清子~いっぽんどっこの唄より] 老子も愚痴る(グッチ裕三編) 儂の云うことはシンプルでかんたんで、そしてすぐに実践できるものなのに、ああそれなのにそれなのに。 それを理解できるものがおらず、また実践するものもおらん。 なんてこった。 でも仕方がないんだなあ。 キレイごとで憂世は渡れないからのう。 儂のように高貴でキレイなことば

へりくだって世を見れば【きまぐれエッセイ】

へりくだって世を見れば 『こんな国に誰がした』というお決まりのフレーズがある。 では、個人の視点から国を見るのではなく、国の視点にたって個人(じぶん)を見てみたらどうだろう。 そうりだいじんになったつもりで国民(じぶん)のことを考えてみたらどうだろう。 この国で生きてそして死んでゆくいのち。 貧乏人であろうが金持ちであろうがこのいのちは貴い。 貴いいのちたちが、笑い、泣き、キレたり、怒ったり、ムカついたり、不安になったり、さびしくなったり、舞い上がったり、落ち込んだり

健康ヲタクをやめると健康になる法則【きまぐれエッセイ】

あたしの昔話。健康食品ヲタクだった頃の話。 『ネットワークビジネスという名のねずみ講』に乗せられて、次から次へと健康食品を買わされる羽目になった。気がつけばキッチンには、見たこともないサプリメントや謎の粉がずらりと並んでいた。 スパスパあるあるガッテンもんた。 塩分控え目で健康家族。次は「塩分不足が健康を害する」。水は一日二リットル以上飲みなさいっていうから一生懸命飲んでみれば「水の摂りすぎが病気の原因だった」なんて言われる始末。 三食しっかり食べて健康に!っていうからきち

単純に考える【きまぐれエッセイ】

たとえば、上手く行っている(カネも余裕もある)人が友人を助けることはたやすいが、貧乏に喘いでいる人が自分のことはさておいて大変な状況にある友人のことを案じ手を差し伸べることは稀である。 しかし、大変なときこそその人の本性が現れるものである。 人生の晴れの日も雨の日も嵐の時も変らない態度で居る人こそ道(タオ)の人なのである。 降っても晴れてもそれが人生、人生に雨の日もあれば晴れの日があるのは当然なのである。 ことさらな仕掛けや権謀を働かなくても、無為・無心・無欲で自然の順

分かる人にだけ分かる真の知者【きまぐれエッセイ】

真の知者は言葉数が少ない。 尋ねられれば答えるが、知をひけらかして他人に押し付けるようなことはしない。べらべらだらだらしゃべくる者は大概、知のない者と相場が決まっている。 道(タオ)を体得している人は、自己コントロールができていて欲がなく無心であるがまま、己の才覚に自惚れることなく、その鋭鋒、舌鋒、感受性をあえてマイルドにして、物事は、ややこしく難しくせず、いたってシンプルにとらえ、たとい問題があったとしても、粋にスマートに処理をする。 玉座に臨席できる風格を持ちながらも

ハートで生きる【きまぐれエッセイ】

もし汝ら翻へりて幼兒の如くならずば、天國に入るを得じ[マタイ傳福音書:18.3] 老子もまた赤子のように無欲無心であれと教える。 自然体であるがままの純粋な人は、本来神秘的な能力パワーを備えているのだが、さかしらな小ざかしい智恵を用いて作為ある不自然な行動をするとそのパワーが途端に消えてしまうものなのだ。 憂世の常は、強壮をよしとするが、強壮とは徒に人生を豊かにしようとして、やたらに私心を以て心をあちらこちらに配っていくことである。 心ここに在らず。すなわちハートで生き

必死になってリラックスする人たち【きまぐれエッセイ】

生きとし生けるものは生まれた瞬間から死に向かう運命にある。人間が生まれると、その一生の間に様々なドラマが繰り広げられる。そんなドラマのなかでも、死生のタイプを大きく三つに分けてみようかと思う。 ひとつめは、寿命を全うし生き延びるタイプ。こういう人たちは、こだわりがなく、柔弱でココロもやわらかく、そして素直だ。必死さがないから、物事は思ったように進み、勝ち負けに拘わらずとも勝利必至。のほほんと生きることの大切さを知っている彼らは、世の中の荒波にもさらわれることなく、穏やかに日

そのまま・このまま・あほのまま【きまぐれエッセイ】

民の心を心とする、というのは、まさに政治や経営における金言。 『政治は民の心を心とせよ』という言葉は、為政者だけじゃなくて、どんな組織のトップにも通じるもの。それは、道(タオ)に通じる人たちのように、特定の考えに固執しない柔軟な心を持つことが大事だということ。 道に通じる人は、自我による分別を捨て去り、差別をせず、道と一体になった立場から世界を見つめる。その視線は、凝り固まった観念で覆われることなく、受容し包容する。清濁併せ呑むその姿勢は、憂世の人から見ると、とらえどころの

自分、不器用ですから【きまぐれエッセイ】

一本スジが通っておる者、そんな人間は滅多に騒がない。 無骨で朴訥で、無口で静かにしている。青い静けさをその身にまとい、まるで深い海の底のように、じっと息を潜めている。 子供の頃、近所の大工さんがまさにそのタイプだった。大きな手に持つノコギリが、カシャン、カシャンと木を切り分ける音だけが響く。その音すら、何か静けさの一部に感じられたものだ。彼の作業場に近づくと、不思議と心が落ち着いた。 世の中は、どこかねじくれている。あちこちで、人々は騒ぎ、争い、声を張り上げている。しかし