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川越つばさの気まぐれエッセイ

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川越つばさの、書きなぐり書きちらし書きっぱなし出任せエッセイ集。内容は、常識に背くような大衆や世間様に迎合しない、あるいは、世の中をナメたような内容になります。石を投げられ白い目…
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#小室直樹

イエスさま激おこぷんぷん💢言うだけ~見せるだけ~の人【きまぐれエッセイ】

偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。[マタイ23:25] 『陰徳積善』 善行って、人に見せるためにやるものじゃないんだから、他人から評価されようがされまいが関係ないし、「あたし、善行やってます」なんてアピールしてる時点で、それって善行じゃなくてただのパフォーマンス、見世物だよね。グループで「ヨイコトヲヤリマセウ」なんてタスキかけて、おそろいのTシャツ作っちゃって、善行集団パフォーマンスの

天皇教と国家神道【きまぐれエッセイ】

明治政府が天皇を神格化したことは、まるで新しい宗教を作り出したかのような出来事だった。この新興宗教は「天皇教」と呼ぶべきではないかと小室先生は指摘する。 戦後の歴史観では「戦前の日本は国家神道だった」としばしば言われるが、実際のところ、天皇教と国家神道はまったく別物。 まず、「天皇教」と呼ばれるものは、明治政府が推し進めた天皇崇拝の徹底した形態。天皇を単なる政治的な指導者ではなく、神聖な存在として国民に信仰させることを目的とした。 天皇の存在は、日本の伝統的な神道の神々と

幻想の自由・見えない権威【きまぐれエッセイ】

「自分は自由だ!」と宣言したとき、果たしてその自由はどこから来るのか、考えたことはあるだろうか? 社会科学者たちは、それが単なる幻想だと言っている。あたしたちは社会的な存在であり、真の意味での個人など存在しない、と。 例えば、あなたが朝起きてコーヒーを飲むのも、誰かがコーヒーの豆を育て、焙煎し、販売してくれたおかげだ。道を歩くとき、赤信号で止まるのも、交通ルールがあるからこそ。そう考えると、自由意志で生きていると思っていた自分の日常も、実は無数の見えない手に導かれていること