マガジンのカバー画像

川越つばさの気まぐれエッセイ

86
川越つばさの、書きなぐり書きちらし書きっぱなし出任せエッセイ集。内容は、常識に背くような大衆や世間様に迎合しない、あるいは、世の中をナメたような内容になります。石を投げられ白い目…
運営しているクリエイター

#キリスト教

イエスさま激おこぷんぷん💢言うだけ~見せるだけ~の人【きまぐれエッセイ】

偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。[マタイ23:25] 『陰徳積善』 善行って、人に見せるためにやるものじゃないんだから、他人から評価されようがされまいが関係ないし、「あたし、善行やってます」なんてアピールしてる時点で、それって善行じゃなくてただのパフォーマンス、見世物だよね。グループで「ヨイコトヲヤリマセウ」なんてタスキかけて、おそろいのTシャツ作っちゃって、善行集団パフォーマンスの

一方的に借金をチャラにする。キリスト教の本質は、相互性の否定である。【きまぐれエッセイ】

⇒ スコアカードをつけてはいけない より *註:マタイによる福音書6章12節 And forgive us our debts, as we forgive our debtors. 我らに罪を犯す者を我らが許すごとく、我らの罪をも許したまえ。 ここで言う「罪」は、元々のギリシャ語では「負債」や「借り」という意味を持つ言葉が使われており、現代の多くの翻訳でも「負債」と解釈されることがあります。 我らに負債ある者を我らの免したる如く、我らの負債をも免し給へ。(文語訳)

原罪思想とカラマーゾフの兄弟【きまぐれエッセイ】

ゾシマ長老のエピソードから考える原罪思想 カラマーゾフの兄弟に描かれる原罪思想について考察することは、まるで分厚い霧の中を進むようなものだ。そこには複雑な人間の本質が隠れており、一歩進むごとに新しい発見が待っている。 まず、原罪という概念は、人間の存在そのものに深く根ざしていると言える。アダムとイブが楽園で犯した罪が全ての人間に引き継がれ、生まれながらに罪を背負っているという教義だ。この考え方に対して、カラマーゾフの兄弟の物語は多くの洞察を与えてくれる。ドストエフスキーは