LPGとブドウ畑とwine

僕が暮らす町は、人口43,000人。

市内からは通勤圏内ということもあり、沢山の家族が住むベッドタウンである。

僕は、そんな町に生まれてから44年間一回も町を出ることなく住んでいる。住んでいる場所は、割りと町の中心であり、利便性は良い方である。そして我が家は、祖父の代から60年以上、個人商店を経営している。

その三代目が、今日からnoteを始めた「僕」である。どういう商売を半世紀以上続けて来たかと言うと、内容は紆余曲折、時代に沿って変遷してきたとこの際書いてしまおう。

祖父のMは、お国のために、敵地へ赴き粉骨砕身。。。の時代に生まれたが、持病があり、出兵できずに悶々とするなかで、地域の主要産業である繊維産業の担い手として社会貢献する事になったそうです。祖父は持ち前の器用さと勤勉を生かし、会社でも一目置かれる存在に。村の代表も7年も務め、多方面から信頼も集め、戦後に迎えた高度成長期には、遂に祖母と二人でよろず屋を始めました。その当時の町は、集団就職により繊維産業で働く男衆や女工さんで賑わいがありました。店に商品を並べれば、飛ぶように売れる。また仕入れては、売れる。これの繰り返しで、小売業にとっても華やかな時代でした。そんな中、日本に置いてもエネルギー革命が起こり、薪や炭を燃料としていた時代からより効率がよく、高火力で、しかもコントロールしやすいプロパンガスが注目され始めておりました。繊維産業に顔が利く、信頼の厚い村の代表が新商品を売る。SNSの無い時代ですが、充分過ぎる口コミ材料。元々薪や炭を扱っていた事もあり、早々にプロパンガスなるものを販売する事に。売り先は、集団就職で地域に根付いた労働者世帯。売れ行きは良く、寝る間も惜しみ交換に回ったそうです。祖父は、持病が悪化し60歳を目前に、そして楽しみにしていた男の子の内孫(僕の事です)の顔を見ることなく他界。

その跡を継いだ僕の父のM、若干30歳にしてのバトンタッチ。しかし、器量良しの母(天然な所多々)や、周りの方々の手助けもあり町内でのシェアは、相当なものでした。

しかし、時代は移り変わるもの、ましてや時代の流れは加速度的に進み、先月出た商品がもう古いと言われる事もしばしば。

両親も齢70歳を遥かに超え、気持ちと体調の折り合いがつかなくなっている事を横で見ていて感じます。そう言えば、僕の小さい頃は、店に沢山のお客さんや業者さん、近所のお話好きの大人達が出入りする、賑やかな店だったなぁと。

僕達三代目夫婦が、なぜワインを取り扱う事にしたか。前述の「僕の記憶にある店の賑わい」を懐かしく感じ、同時に現在の店に足らない何かが、うっすらと非常にうっすらとですが、見えたような。小売業って何売っても良い幅広い職種ってこと。じゃあ、私達の好きな、畑の香りのするワインを売ろうよ。っていう妻の発案。プロパンガス屋さんには逆立ちしても出てこない案。

そして、なぜか人との繋がりの中で導かれる様に始めたブドウ栽培。点と点が結ばれつつある現在。そう言えば、祖父のMが、ブドウを植えていた事。これも過去の点。現在と過去、町内に散らばった点達が伏線回収の様に最終的に収まる事を願って、初noteを書き終えました。ワインの下りがとても短いですが、長い商売の歴史からしたら、まだまだってことです。これから長く書けるようにがんばります‼️

ご静読ありがとうございました。



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