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マリオというIPは当時も別格だった

『スーパーマリオブラザーズ』が発売されたのは1985年9月。個人的な話になるが、その年の1月に創刊したビデオゲーム専門雑誌(以下、ゲーム雑誌)に関わっていた。もちろん、ゲーム雑誌が売れるかどうかわからないころだ。
 
『スーパーマリオブラザーズ』が大人気となる少し前の7月、初のファミコン専門誌『ファミリーコンピュータMagazine』(徳間書店インターメディア/以下、ファミマガ)が刊行された。
1986年になると角川書店やアスキーなどの出版社から続々とファミコン専門誌が刊行されるが、『ファミマガ』は、後発誌に先んじてマリオブームとファミコン人気の波に乗り、その後100万部雑誌になる。私が関わっていたゲーム雑誌を除くこれらのゲーム雑誌は、『ファミマガ』の成功に追随し部数を伸ばしていく。
 
『ファミマガ』編集部が編集した『スーパーマリオブラザーズ 完全攻略本』(徳間書店発売)は、ゲーム発売の翌10月末に発売されたが爆売れし、1985年ベストセラー書籍の売上1位になった。さらに翌1986年も1位になった。当時の『スーパーマリオブラザーズ』の人気のすごさがわかる。(出版指標 年報より)
ちなみに『ファミマガ』の初代編集長から、マリオの攻略本はそこそこのマンションが買えるくらいの印税だったと聞いたことがある。
 
『スーパーマリオブラザーズ』は、このようにゲーム機だけではなく、ゲーム雑誌やゲーム攻略本それぞれのビジネスをけん引したといえるだろう。
ゲームの大ヒットと攻略本のベストセラー以後マリオのIP化が始まるわけだが、ここからゲームというコンテンツのIP化も始まるのである。

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