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アジアでは韓国のIPが人気

1990年代後半インターネットを介してPCでプレイするオンラインゲームがアメリカで登場し、2000年早々韓国で人気となり、オンラインゲームがプレイできるPCバン(ネットカフェ)が次々に誕生した。あのころ国内はブロードバンド時代の直前で、これからどういうビジネスが興隆するのかわからなかったので、IT関連の会社は一足先にブロードバンドビジネスが生まれていた韓国を調査していた。某通信会社の依頼を受け、私は何度か韓国を訪れPCバンやゲーム会社を取材していた。
 
1990年代『ストリートファイター2』や『バーチャファイター』が流行っていたころのゲームセンターに似た熱気がPCバンにあった。やがてオンラインゲームのブームは韓国にとどまらず台湾、中国にも波及する。
一方韓国ではゲーム会社が次々に生まれ、様々なオンラインゲームのタイトルが制作された。こうしたタイトルはアジア各国に輸出(ライセンスアウト)されていく。
 
日本では2000年にプレイステーション2が発売され、ゲーム市場を席巻していた。スクウェア・エニックスやコーエーのようにPCオンラインゲームに積極的に取り組んでいた会社もあったが、国内タイトルが少なかったので、多くのゲーム運営会社は韓国のタイトルをライセンスインしてサービスした。
 
韓国のゲームは東アジアだけではなく東南アジアにも進出し、ネットカフェでは多くの子供や学生たちがゲームに夢中になった。2008年JETROのゲーム市場調査でベトナム、シンガポール、タイに取材に行った際、こうした光景を度々目にした。ハノイのネットカフェでは、韓国のPCバンに似た熱気があった。1990年代の日本のゲームセンターが懐かしく思えた。
彼らが大人になったとき、親しみをもつのはマリオのような日本のゲームではなく韓国のゲームになるだろう。そんな予感がした。
 
当時アジアの中で日本のゲーム機が正規に発売されていたのは数か国に過ぎなかったので、多くの国の子供や学生たちは、韓国のオンラインゲームでゲームの楽しさを知ったのである。
 
このような背景があるので、韓国のオンラインゲーム『MU』のモバイル版『奇迹MU:觉醒』や『アラド戦記』のモバイル版『アラド戦記 モバイル』が中国でリリース後、すぐにゲームユーザーに受け入れられ人気になったのだと思う。韓国のオンラインゲームは、アジアを中心に今後さらにブランド化していくだろう。
 

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