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動物ちゃん

僕の家は、今年4月コロナの真っ只中で、一匹のワンコを引き受けた。世に言う、保護犬である。

名前は四皇の、通称ビックマム、シャーロットリンリン。

嘘です。河地リンちゃん♪です。


僕の一家は、去年夏、がんを患っていた飼い犬を失った。僕は去年カンボジアに滞在しに行ってたため、最後寄り添えなかった。10年間一緒にいたのに。それで帰国後、なんか悲しくなって、いつも結局、家族のことを何にも考えられてないなって自分を責めたのも、病んだ理由の一つ。

僕の母は、ワンコが大好きだ。世話もほとんど母さんがしてる。すごい。

もちろん前のワンコを忘れたいわけではないけど、母は次を飼いたく、そこで、ちょっとでも社会貢献をと思い、保護犬を飼いたいと言っていた。


でも、保護犬は何歳かもわからなかったり、病気だったり、怪我があったり、障害があったり、欠陥があったりする。飼うのにむずかしかったり、もしかしたらすぐ死んじゃうかもしれない。ちょっくら天然な母はそのことを考えれていなかったので、父さんに指摘をもらっていた。決して反対してたわけではなくてね。

でも母さんは、ピュア気持ちに従って保護犬を飼うことにした。知れば知るほど、曖昧な気持ちじゃなく、ちゃんと「保護犬を飼いたい」と思ったみたい。


そして、60犬もいる施設から、迎え入れた。
感情がなかったリンちゃんは、まだまだ怖いことだらけで常にこの世界にビビってるけど、たぶん幸せになってってる。
リンちゃんは赤ちゃんをたくさん産み終えて、ブリーダーからしたら役目を終えた用済みのワンちゃん。
5歳とされてるけど、もしかしたら8歳かもしれない。笑
誕生日もわからない。
食いしん坊で、ガッシリ体型で、いびきデカくて、鳴き声図太いけど、かわいい。





僕はというと生活音がでかいため、世話も手伝ってるのに、男の声にもビビり、嫌われてる。泣





 どうなるかもわからない保護犬を受け入れた母を、誇らしくとも思う。


母さんは犬社会の現状を知って以来、SNSは犬であふれており、

自分なりに貢献したい、矛盾におかしいと感じて、繁殖の数値規制の啓蒙活動に参加してるみたいだ。


モデルの松島花さんや女優の二階堂ふみさんが進んで活動もしているみたいだ。




なぜ、保護犬という存在が生まれちゃうんだろう。
なぜ、捨てるのだろう。
なぜ、ペットなんだろう。
なぜ、安く売られるペットショップばっかりなんだろう。未だ、どこよりも安いペットショップ!なんていうでかい広告を目にするし、残ってるということはまだまだ消費者は考えられていない。
なぜ、売れなかったワンちゃんは、暗い部屋で、ガスで殺されなきゃいけないの?


そんな素直な疑問に対してみんな立ち向かっているんですね。

僕なりになんでこうなっちゃうんかなって考えたとき、一部の人間が、犬を「動物」として見れてないからだと僕は思う。
モノとして見てるんだ。ちゃんと感情を認識すれば、そんなことにはならないはずなのに。

人間だって動物やのにな。
僕は結構、動物感が好き。女の子も。色白で細過ぎの人形さんみたいなのはいや。そんな性癖はええねん。


犬は人間のためだけにあるもんではないはず。



人間の私利私欲のために、お金を稼ぐために、
必要以上に産まさせて大量生産したり、安く売ったり、犬に値段を勝手につけて、、、。

それぞれに外見だけじゃない個性があるかもしれないのに、「勝」てなかった、選ばれなかったわんちゃんは、無惨にも殺されてしまう。

また選ばれたとしても育てるのが難しくなると、捨てられる。最初から飼うなよ。「買う」からそうなるんやろうな。

カンボジアでの犬の生息の仕方、飼い方は好きだった。狂犬病は怖いけど、野犬がいてもそっちの方がよっぽどいい。おおっぴらぼうで。日本のほうが、今は違和感と感じちゃう。

あの家族のワンちゃんは良かったな。って思う反面、選ばれなかったワンちゃんのことを想うと、かわいそうと思わざる負えない。



もちろん、愛してて、共生してて、癒しとなってくれてて、家族となってて、幸せが生まれてるのも事実。

けど、社会という全体もので見ると、やっぱりペット市場というのは残酷みたいだ。


いい側面の裏には、悪い側面が必ずあって、矛盾してる。


この人間中心の世界は、いろんなところでねじ曲がってるんだな。。



いぬだけでなく、自然や動物に迷惑かけまくりのは人間ってことを知った。

いろんな動物に対して、すごく申し訳なさが交錯する。それで一回病んだ。いろんな動物を食べてきたのに、殺されてるところも見たことないおれは、なんて罪深いものだと。見たくないから見に行けてないけど。




もっというと、モノも命が宿ってると思って、大切に使いたい。
僕は小学生の頃、よく物に謝っていた。煩雑で、大雑把なので、がっしゃんしちゃうけど、
ふとしたときに、なんかごめんってなったり、人間のために使われ、人間の生活の役に立ってて、人間の利己で雑に使われたり、捨てられたり、ゴミになったり。
急に思い出してなんかモノに命を感じてしまうという変人だった笑
3分後には忘れてたけど笑

って思ってたりしてたのを思い出した。

でも、当時は恥ずかしくて親にしか言えなかったけど、今思うとピュアでいいもんだ。


そこに感情がある世界なら、人間の利己や、当たり前だけで片付けてはいけないと思う。


それを意識高い系とかで括ってはいけないと思う。
そういう人を偽善者みたいに批判とか尚更だと思う。


 お金が主となって創ってくれた「理想」の中で僕らは生きてきた?嫌なこと知りたくないこと向き合いたくないことは、勝手に変えられない「現実」として片付けて、生きてきたんではないか?

よく大人が現実を見ろとか言うけど、その「現実」ってなんなんやろう。

何言ってるかわからなくなってきた


言いたいことは、少しずつ、小さなことでも、ちゃんと知っていきたいし、想いたい。

いろんなところで知らずに生きてきたなと思うし、それがすごく嫌でコンプレックスだ。


まず、署名をしてみようと思う。

嘆いてたってなんにも変わらないし、罪滅ぼしにもなりませんな。
しんどくならない程度に、知ってゆく、やっていくことを意識したいと思います。

この気持ちを、忘れたくないなー。

当たり前のことは、何かの犠牲で成り立っているかもしれない。それを知った上で生きていくことが大事かもですね。


将来の一つ小さな夢は、ペットじゃなくて、動物と友達になること。決めた!牛かなぁ。



今回のnoteは、りんちゃんが教えてくれた、自分にとって大事にしたいことでした。


これから、人間によって奪われた感情をどんどん取り戻して、家族に寄り添って精一杯生きてね。おれはたぶんしばらく離れちゃうけど。
忘れられそうやな笑

もちろん、前のワンコ、コロンも僕らを見守ってくれてる。

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