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神様がくれた時間。

 毎朝、娘を車で中学校まで送り届ける。家を出るのは7時40分。タイムズカーシェアのカーポートに2人で向かう。その時、娘のリュックを背負うのは僕だ。このリュックが激烈に重い。なぜ荷物が多いのかと聞くと、置き勉するから明日は軽くなるよ、と笑いながら娘はいう。しかし軽くなった試しはない。「パパ、今日もお願いね」とバーベルが詰まっているようなリュックを毎日、渡される。

 家が燃えた。2月のことだった。今は少し離れた場所で仮住まいをしている。生活の拠点は移ったのだが、移せないこともある。子どもたちの学校と塾である。大好きな先生や友だちと離れ離れになるのは、ただでさえ辛い思いをしたのに、ちょっと厳しいだろう、と長女は地元の中学校と塾に通っている。公共交通機関だと40分ほどかかる。しかも、あの激重リュックを背負ってだ。それはあまりにも過酷だろうと、朝だけは車で送っていくことにした。

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 途中のセブンイレブンでで、アイスカフェラテLを買う。もともとは僕が飲むために買っていたのだが、ある朝、試しに飲んでみたいというので一口あげたら、気に入ってしまい、今ではまず娘が飲み、残りを僕がもらっている。カフェラテが飲めるようになるって嬉しいのか、「美味しい、美味しい」といって飲んでいる。火事になって、ステイホームになって、そして遠距離通学。そんな娘へのささやかなエールの気持ちもあって毎朝、欠かさず買っている。
 中学までは混み具合にもよるが15分ほどのドライブ。コロナの感染者がまた増え始めているからか、ここ数日は道はわりと空いている。座るのは決まって運転席側の後部座席。カフェラテを飲みながら朝ごはんをほおばる。僕が作ったピザトーストのこともあれば、コンビニで買ったサンドイッチのこともある。道すがら、時事ニュースを聞きながら、ふるさと納税で都会の税収が減るのはなぜか、日本広告機構とは何のための団体なのか、そんなことを教えたりもする。バックミラー越しに娘の姿を眺めながら、火事にならなかったら、こんな時間なかったよなぁとしみじみと思う。

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 降りるのは、中学校の近くにあるコンビニの駐車場。学校の目の前まで送っていくと言っても、頑なに嫌だと言う。到着すると、重いリュックを軽やかに背負い、「ありがとう」と手を振って車を後にする。

 登校中の制服の群れに混じり、見えなくなる娘を眺めながら、嬉しいような、切ないような気持ちになる。どんな大人になり、どんな仕事につき、どんなパートナーを見つけるのだろう。しかし今からこんな調子だと、結婚式とかになったら、身体が干からびるぐらい泣くんじゃないかと思う。

 火事は大変なことだけど、大変さのなかだからこそ、家族とのかけがえのない時間がもてた。そしてステイホームが始まった。妻や子どもたちと散歩したり、マリオカートしたり、一緒に洗濯物を干したり。ただの何気ない日常だけど、それこそが、神様がくれた時間だと思っている。

 51歳で気づくのは、ちょっと遅いのかもしれないけど、気づかずに死んじゃうよりは、ずっとよかったんじゃないかな。

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