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家が火事になりました

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2020年2月10日に家が火事になりました。火事が起きる確率は、0.04%と言われています。でも起きてしまえば100%。突然、大混乱が始まります。何が起きて、何にを感じたか、いつ…
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#火災

家が火事になりました。

人生には時に思いがけないことがおきます。 その朝、僕は仕事仲間とともに、首都高で移動していました。そこに突然、出勤途中の妻から電話がありました。 「我が家が燃えてるらしいの」 「えっ、なに燃えてるって」 「とにかく家が燃えてるの」 最初はなにをいっているのか全くわかりませんでした。でも胸騒ぎを押さえながら自宅に戻ることにしました。すぐに高校3年生の長男と連絡をとりました。家族全員が避難できていることがわかり、一旦はほっとしました。でも息子は興奮した声で最後にこういい

火事にあったこと、ずっといえなかった。

 1週間前、僕は火事にあいました。その経験を人に伝えたいと、noteで「家が火事になりました」という記事を書きました。  その後、沢山の方から、メッセージをいただきましたのですが、印象に残ったことがあります。「火事にあったことをずっといえずにいた」という方が複数いらっしゃったことでした。放火や延焼など、その方たちはむしろ被害にあった側でした。それでも、なかなか人に言えないのが、火事なのかもしれません。  火事はすべてを奪う、といいます。  僕らの寝室は火が回らなかったの

こんな時でも、生きてるってお腹がすくんだね。

 火事にあって、しばらくは会社を休んで家族のことをすると決めました。  子どもたちと、いつもより沢山の時間を過ごしています。一緒にスマホのゲームをしたり、学校へ送って行ったり、毎日晩ご飯も一緒にたべる。ある意味、神様がくれた休暇だと思っています。  子どもたちと沢山しゃべると、そのまっすぐな感性にほとほと感心する。  一番下の娘は、天真爛漫で、食いしん坊。まわりを和ませてくれる。そんな彼女も、あの時、家の中にいました。結構火が回り始めた頃、なんとか逃げ出せたが、少し煙を

君も、ドラマみたいに泣くんだね。

 今日は息子のことを書きます。高校3年生で、現在受験まっただ中。彼にとって今回の火事はことさら大きな災難でした。  火事になって3日目の朝。息子が目に涙をためて、こういい放ちました。 「おれはさ、もうがんばってんだよ。なんだよ、がんばれって。これ以上、がんばれないよ」  それを聞いた僕は、父親である自分から幽体離脱するみたいに、この状況を俯瞰してみていました。  「ちょっと今日で3日目。人は極度の緊張にさらされるとしばらくアドレナリンがでる。しかししばらくすると緊張の

ぬいぐるみは、人を幸せにする。

 人を、人たらしめるものとは一体なんなんでしょうか。食べたり、寝たり、生殖への欲求は動物にもあります。  それは「何かを愛おしむ」ことなのかもしれません。  火事の朝、パジャマで間一髪で逃げ出した小学校6年生と3年生の娘たち。幸いなことに怪我ひとつありませんでした。しかし彼女たちは「日常」のほとんどを失いました。ランドセル、教科書、靴、漫画、コスメ、アクセサリー、すべてが真っ黒な炭になってしまいました。  その日から、家族5人でAirbnbでの生活を余儀なくされました。

燃えた家が、みんな大すきだった。

 嘘みたいな本当の話なんですが、家が火事になりました。今から3週間前のことです。今は知人のご厚意にあまえて「仮住まい」をしています。  家族にとって、家はただの「箱」ではありません。雨風から守ってくれるのはもちろん、家族の歴史を共有してきた、心の拠り所のようなものです。特に子どもたちにとって、育った家は特別なモノなんだ、ということを今回の火事で痛感しました。  燃えた家は、14年前に友人が設計してくれた戸建住宅。長男が幼稚園の年長で引っ越して、長女と次女はここで生まれまし

毎日がクリスマスみたいだね。

 ウソみたいな本当の話ですが、3週間ほど前に家が火事になりました。  火事になってからの毎日、それは「失ったもの」に気づき続ける日々です。  初日は、靴でした。  僕は「渋谷のラジオ」というコミュニティFMの番組「渋谷のテレビ」でパーソナリティをやっているのですが、あの日、火事のことを最初に伝えた友人は、xそこで一緒に出演している日本テレビの土屋敏男さんと@EKIDEN_Newsの西本武司さんでした。  出火したのは朝8時頃でしたがそれからは怒涛のような1日でした。会

へその緒と、アベンジャーズ。

 ウソみたいな本当の話なんですが、家が火事になりました。誰かの役にたてば、と火事の6日後から書き続けています。  あの日からまもなく4週間になろうとしています。今日は消防士さんのことを書きます。お世話になったのは東京消防庁の杉並消防署のみなさん、まさに「心優しきアベンジャーズ」でした。  出火したのは朝8時頃、僕はすでに外出していました。連絡をうけて家に戻ったのが8時半すぎだったと思います。それから日が暮れるまでの間、消防士さんと一緒にいました。  消火活動って、燃えさ

いっそ、泣いてしまえば楽になるよ。

 火事からちょうど30日が過ぎました。  今日は自分のことについて書いてみようと思います。  火事になってから、辛いでしょう、泣いてもいいよ、っていわれることがあります。つらいでしょ、とか、がんばらなくていいよ、とか、ぐちゃっとなってもいいよ、とか。つまりは、大変な目にあって、心も傷ついただろうし、さぞかしつらいでしょう、泣いてもいいんだよ、ということです。特に僕の場合、涙もろいくせに、強がりで、弱みを見せたがらない、そういうタイプだから、そういう気遣いを相手にさせてしま

うがいをすると、黒い煤が混じっていた。

 火事にあったことを書いていけば、いつかきっと誰かの役に立つ。そう思って僕ら家族が体験したことを書き綴っています。  あの日からすでに1ヶ月以上が過ぎました。その時に家にいたのは子どもたち、今でも話していると、ドキッとすることをいいます。一昨日、18歳の長男はこんな話をしてくれました。 「あの日、いろいろ落ち着いてさ、うがいをしたら黒い煤が混じってたんだ。鼻をかむとしばらく鼻水にも煤みたいなのが混じってたんだよ」  あの日、火事になった家に最後までいたのは長男です。第一

火事のオフ会をやって、泣いてしまった話。

 いきなりですが、火事にあった人たちとご飯をたべました。火事という共通の体験をもつ3人がネットでつながり、リアルで集まることになりました。いわば火事のオフ会、これはなかなかレアです。ある世帯が火事にあう確立は、1年間で0.024%。かなりレアです。火事にあった2人が出会うのはさらにレア。今回は3人集うので、天文学的なレアさです。さらにレアなのは、その3人には共通の知人がいたこと。FUKKO DESIGNを一緒にやってる木村充慶くんです。彼が幹事となり、火事のオフ会をする運びと