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一単立神社運営難の話。

ごきげんよう。
今回は、こちらの記事を拝読いたしましてのお話でございます。

以上記事を引用いたしますと

江戸時代の国学の大家、もとおりのりながをまつる神社「本居宣長ノ宮」(三重県松阪市殿町)が、後継者難や資金不足を理由に廃止の危機に直面している。
宮司の植松有麻呂さん(87)は「老朽化した神社の修繕や改修を行い、維持したい」と費用をクラウドファンディング(CF)で募り始めた。

引用元:『毎日新聞デジタル』6月4日付記事

とのことでございました。

以前からクラウドファンディングを募る神社の例はあり、
現在も各所で募られておりますので、今となっては珍しい事例ではなくなりました。

全国各地の神社は、昭和20(1945)年、大東亜戦争・太平洋戦争敗戦後、
国の管理から離れ、宗教法人として各神社それぞれで管理・運営していくこととなりました。なので、神社の維持・管理・運営していくに、規模無関係でさまざまな困難事がございます。

顕著に表れているのが、運営資金難問題。

今回は、こちらの問題に関するお話をしようと思います。
よろしければ、お付き合いくださいませ。


本居宣長 大人について

お話を進める前に、本居宣長ノ宮の御祭神についてお話いたします。

本居宣長ノ宮は、三重県松阪市殿とのまちに御鎮座しております。地図

もとおりのりながおうは、こくがくを大成なされた(したいじん とも) のお一人でございまして、医師でもございました(以下、と申します)

写真:國學院大學博物館にて筆者撮影

大人(うし)とは、人の尊称、師匠または学者の尊称で、
達人という意味合いもある尊称でございます。


国学とは、日本に現存している古代の文献に基づきながら国の成り立ちを考究し、日本古代の文化・文学を明らかにしようと、江戸時代中期より興り、けいちゅうだのあずままろものぶちもとおりのりながひらあつたね、 各方を中心として確立した、母校の礎となっておる学問でございます。

より詳しい解説につきましては、以下の動画をご参照くださいませ。

視聴時間 5分40秒

配信元:YouTube「國學院大學博物館 Online Museum」チャンネル

写真:國學院大學博物館にて筆者撮影
写真:國學院大學博物館にて筆者撮影


契沖じゃ(真言宗)さまが御執筆なされた『万葉集』の注釈書
まんようだいしょう』より始まり、おあとに続かれた四大人・諸国学者の方々、諸先人方のたゆまぬ ご研究のおかげで、『万葉集』『古事記』などの古代書物が庶民に至るまでより親しく読めるようになった流れがあって、今日の日本史基礎・国学の発展がございまして、現在もまだまだ不明なところがございますので考究されておるところでございます。

写真:國學院大學博物館にて筆者撮影

本居 宣長 大人は、当時、読み方など不明なところがございました
』の研究をライフワークとしてなされた御方で、35年の年月をかけて注釈書『古事記伝』44巻を御執筆。門下生方に最後の古事記講義を終えたあとゆう(逝去)されました。享年72歳

私たちは、宣長 大人のおかげで、
『古事記』の内容を読み解くことができております。

また、によって述べられた
「神とは」の定義は優れていると言われており、
私もそのように思っております。

その定義を以下に引用いたします。
特に太字個所は、神社界をはじめ様々なところで引用されておるところでございます。

また、太字以下の文をお読みになると
より内容の理解が深まるかと存じますので、続けて引用しようと思います。

【本居 宣長『古事記伝 三之巻』より】
さてすべとは、
古御典等(いにしえのみふみども) に見えたるあめつちの諸(もろもろ)の神たちを始めて、まつれるやしろに坐(います)たまをも申し、また人はさらにもいわず、とりけもの木草のたぐひ海山など、そのほかなににまれ、尋常よのつねならず すぐれたることのありて、可畏かしこき物をとはいうなり


【すぐれたるとは、尊きこと善きこと、いさおしきことなどの、すぐれたるのみをいうあらず、悪きものあやしきものなども、よにすぐれて可畏かしこきをば、神と云なり、さて人の中の神は、まづかけまくもかしこき天皇は、々々みよみな神にますこと、申すもさらなり、は遠つ神とも申して、凡人ただびととははるかに遠く、尊く可畏くましますがゆえなり、かくて次々にも神なる人、古(いにしへ)も今もあることなり、又 天下(あめのした)にうけばりてこそあらね、一國一里一家の内につきても、ほどほどに神なる人あるぞかし、

(略)又人ならぬ物には、雷は常にも鳴る神 、かみりなど云えば、さらにもいわず、たつたま狐などのたぐひも、すぐれてあやしき物にて、可畏かしこければ神なり(略)又虎をも狼をも神といえること、書紀しょき万葉まんようなどに見え、又みのみこという名をたまひ、くびたまくらなの神と申せしたぐひ、又いわこのたちかやのかきばのよくものいいしたぐひなども、皆神なり、さて又海山などを神といえることも多し、そはそのたまの神をいうあらずて、ただその海をも山をもさしていえり、これらもいとかしこき物なるがゆえなり】

抑(そもそも) は如此(かくのごと)く
くさぐさにて、とうときもありいやしきもあり、強きもあり弱きもあり、きもありあしきもありて、心もしわざもそのさまざまにしたがひて、とりどりにしあれば (中略) 大かたひとむきに定めてはひがたき物になむありける。(中略) まして善きもあしきも、いととうとくすぐれたる神たちのうへに至りては、いともいともたえあやしくすしくなむしませば、さらに人のちいささとりもちて、の理(ことわり)など ちのひとへも、測り知らるべきわざにあらず。ただの尊きをとみ、可畏かしこきを畏(かしこ)みてぞあるべき。

出典:大野 晋 編『本居宣長全集 第九巻』(筑摩書房 昭和51年 第5刷)
125~126頁より引用

三重県松阪市にございます宣長大人の旧宅跡地は、
公益財団法人すずのや遺蹟保存会により保存管理されており「本居宣長記念館」の運営もなされております。
(鈴屋は屋号)


記事にまつわる話

さて、本題に入ります。
より詳しい内容につきましては、以下にございます
「伊勢新聞」1月18日付の特集記事にて述べられておりましたので、
こちらをご参照くださいませ。


「毎日新聞」「伊勢新聞」の両記事によりますと、
神社本庁離脱後、収益事業として結婚式場と披露宴会場を設けましたが、
専門の結婚式場やホテルでの披露宴が広まるにつれ、収益が減少。
20数年前からは結婚式は行われなくなり、運営が厳しくなっていったとのことでございます。

【筆者註】
神社で行われる神前結婚式は、明治三十四(1901)年からはじまりました。
当時とうぐう(皇太子)であらせられました
大正天皇様と九条節子姫(ていめい皇后)様は、
明治三十三(1900)年5月10日、皇室こん令により、
宮中賢所(かしこどころ) のおおまえにて御婚儀がとりおこなわれました。

このことを受けまして、翌年には日比谷大神宮(現・東京大神宮)にて、
御婚儀に基づき定められました次第による神前結婚式が初めておこなわれましたことから、これ以降、全国各地に普及するようになり現在に至っております。


さて、具体的なお話に入る前に、
神社界におけるごくごく一部の現実も知っておいた方がよろしいかと存じますので、私が知るお話をしようと思います。

先ほども申上げましたが、全国各神社は、先の大戦敗戦後、国の管理から離れ、宗教法人として各神社それぞれで運営していくこととなりました。
そうしたなかで、一収益事業として結婚式場などを設けられる所はございました。

そのなかには、収支が厳しくなるにつれて借金返済が困難となり、
抵当権が行使された超少数ケースもございます。

最近のケースでお話いたしますと、
神奈川県藤沢市江ノ島に鎮座する児玉神社が
令和元(2019)年11月に競売にかけられ入札された件を
ご存知の方がいらっしゃるかと存じます。
この件につきましては、のちほど触れることといたします。


今回の本居宣長ノ宮での件では、
復興プロジェクトが立ち上げられ、
児玉神社の二の舞いには絶対にさせない。
と意気込まれておるところでございます。


さて、お話を進める前に、ご説明申し上げます。

本居宣長ノ宮、児玉神社は、
ほうかつ宗教法人・神社本庁の傘下にない「単立神社」で、
一社による自営業的運営がなされておる小規模の神社。

両神社御創建の御由緒は「故人とご縁の深い方が社を建立」して
たまをお祀りしたことにはじまり、その後、諸事情により場所を移動して、現在の地にせんされた神社
なので、古来より鎮座している地域の鎮守・氏神神社とは異なり、「氏子はおらず、崇敬者によって支えられている」神社でございます。

本庁傘下にある神社でも、兼務管理社で、民間信仰から起こり、崇敬者が支えていた神社(講社等)もあり、現在は氏子有志方によって支えられている例もあったりします。

ですので、自然災害等により境内建物等が被害を受けたり、
老築化した諸建物の修繕・改修などを行う場合に必要となる資金につきましては、崇敬者に奉賛金のご協力をお願いする、または融資をお受けするしかすべがない現状がございます。


ここで少し余談話をしようと思います。
詳細を説明するとなると話が長くなり、本稿の趣旨とは外れてしまうので、多くは申上げませんが、神社本庁と傘下にある全国各神社との関係について少々申し上げておきます。

神社神道は他宗教とは歴史的経緯が異なっております。
例をあげますと、寺院システムのような、本山・末寺という関係ではなく、企業システムのような、本社・支社・営業所という関係でもありません。

法律上、神社本庁は、全国神社をまとめている「ほうかつ宗教法人」

傘下にある全国各神社は「ほうかつ宗教法人」の集合体となっておりますが、その根幹は「連盟組織」でございます。

宗教法人とは
宗教法人は、教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする団体、つまり「宗教団体」が都道府県知事若しくは文部科学大臣の認証を経て法人格を取得したものです。
宗教法人には、神社、寺院、教会などのように礼拝の施設を備える「単位宗教法人」と、宗派、教派、教団のように神社、寺院、教会などを傘下に持つ「包括宗教法人」があります。単位宗教法人のうち包括宗教法人の傘下にある宗教法人を「被包括宗教法人」、傘下にないものを「単立宗教法人」といいます。

出典:『文化庁HP』「宗教法人と宗務行政 概要」より

神社本庁がどのように成立していったかの流れをお知りになられたい方は、現在休止中で執筆途中ではございますが、筆者連載にて以下マガジン内の連載6あたりより、神社本庁設立史にまつわるお話に触れておりますので、ご興味ある方はよろしければ ご一読くださいませ。


本居宣長ノ宮 再興プロジェクト

さて、本居宣長ノ宮における再興プロジェクトのお話をいたします。


うぶごえ株式会社が運営するクラウドファンディングサイト「うぶごえ」にて、現在「本居宣長ノ宮 再興プロジェクトクラウドファンディング募集がなされておりまして8月15日に終了するとのことでございます。


上掲両記事をはじめ、上掲サイトの説明などを拝読いたしますと、
一関係者としては商売っ気が目立つ内容が少なくないので、正直・・・と思うところもございますが、お宮の存続を優先するためにはこちらのシステムを利用するしか手段がない現状だと思うので、仕方のない選択だとも思います。

また、後継者難がなぜ起きているのか?
ということにつきましては、各神社によって様々な理由がございますが、
こちらのケースでは、現宮司は、本居 宣長 大人の門人・植松ありのぶさまのご子孫とのことでございますので、御祭神と御縁の深い方によって祭祀がなされているお宮だという事がわかります。

宮司は誰でもいいという訳にはまいりません。
次代も御祭神の門人だった方の子孫方にということになりますと、
引継ぎはお難しい現状がおありになられる事と拝察いたしております。

また、経済的に正職員を雇うこともお難しいところがおありになられるだろうとも存じますので、後継者探しが難しいところなのだろうとも推察いたします。

また、単立神社は「どこにも属していない神社」ということになりますので、古来より御鎮座されまして国の管理の下で祭祀がなされ、地域の氏子さんをはじめ崇敬者の方々に支えられている場合とは異なり、こちらのケースでは、特に外部からの支援等がなかなか難しいところがおありになられると存じますので、資金集めに難儀されて今回の経緯に至ったのだろうと拝察しております。

余談話ですが、神社本庁傘下にある各神社に於いては、単立神社での奉職歴は、神職奉職歴に含まれない経緯もあったりします。


児玉神社でのケース話

児玉神社は 
陸軍大将・児玉源太郎のみこと(1852(嘉永5)年〜1906(明治39)年)様を
お祀りしている神社でございます。
命様についての詳細をお話致しますとキリがございませんので、
少しくお話いたします。

明治時代の陸軍 軍人で戦術の天才。
日露戦争の勝利に大きく貢献され、陸軍・内務・文部大臣・台湾総督を務められるなど、頭脳と御身を日本の将来のためにお捧げしてご活躍された御方で、明治39(1906)年7月23日に急逝されました。享年55歳

公式サイト御由緒書によりますと
ご親友でございました、明治時代の政財界のフィクサーと称されます
実業家・政治運動家の杉山茂丸氏が、三回忌を期に御霊をお祀りすべく私邸に社を建立なされたことにはじまり、大正7(1918)年、公認神社への昇格請願が内務大臣に受理されたのを受けて主要社殿が建立。命様は江の島がお好きでたびたび訪れられた御縁から、現在地にせんされたとあります。

また、台湾総督府の第四代総督(在任8年1カ月)を務められた御縁から、
台湾の崇敬者の方々(主に李登輝友の会)からお支えされてきた経緯がおありになるようです。

児玉神社についてネットで調べてみますと、
平成18(2006)年 7月23日に100年祭が斎行されまして、
このあたりより、御創建から百年経過しておることから、
御社殿等の保存修復工事をはじめ、社務所・境内等の修復事業がなさたようで、日本李登輝友の会をはじめ、神社公式サイトでも奉賛金のお願いがなされておりました。

以下はその資料です。ご参照ください。


① 平成29(2017)年6月11日付記事
日本李登輝友の会・児玉神社社殿修復事業へのご寄付のお願い

➁ 平成31(2019)年1月1日付記事
児玉神社公式・御社殿改修事業ご奉賛のお願い


最初に神楽殿の解体工事がはじまり、
祝詞舎・拝殿・神饌所の御取壊しもなされたようなので、
この時点で多額の資金が必要となり、資金調達に拍車が掛かったのだろうと推察します。

その後、新聞記事をはじめ、SNSやブログなどで競売の情報が流れ、
私も以下のポストを拝読して知ることとなりました。


ここで、お話を整理しておきます。
この競売は、強制執行で強制競売のケースとなります。

簡潔に申しますと、神社側が借金の返済が出来ずに滞納していることから、競売にかけられたケースということになります。

この件についてネットで調べておりましたら、
神社本庁はなにもしないのか云々と言われているブログなど拝見したのですが、児玉神社は単立宗教法人で、どこにも属していない神社でありますから、本庁とは無関係ということになりますので、上記のような批判は当てはまりませんので、ご注意ください。

先程も申し上げましたが、神社本庁と神社との関係は、企業システムのような、本社・支社・営業所という関係ではありませんので、本庁側はこういったケースに立ち入ることはできませんし、いたしません。


お話を戻します。
この競売に関する内容がまとめられているブログがありましたので
詳細につきましては、こちらの記事をご参照ください。


① 令和2(2020)年 7月17日付記事
 「 神社が競売にかけられた!!
➁ 令和3(2021)年 4月9日付記事
  落札後に動きがありました!
(出典:『有限会社 きょうしんじょHP 』スタッフブログより)


また、個人的にひょんなことからご縁がございました、
業界一関係者筋の方から少々お話を聞くことができましたので、
聞いたままのお話をお書きしようと思います。

【周辺住民から聞いたお話】
宮司さまは女性。
住民談によりますと、高級ブランドバッグなど持っていたそうです。

台風被害で境内の木の枝が折れたりするなどして、近隣住宅の室外機が壊れるなどの被害があったそうなのですが、神社側はなんの対応もしてくれず、神職は常駐していないので連絡が取れないとのこと。

お話を聞いた一関係者によると、住民方のお話を聞いて、あまりよい印象がない感じに見受けられたとのことでした。

【神社の現在】
神社境内地は不動産(建築)業者によって落札されましたので、
所有者は変り、神社管理担当者も変わりました。

このことにより、境内は立ち入り禁止となりました。
宮司をはじめ神社関係者は一切境内に立ち入れなくなり、
一般者も神社参拝できなくなりました。

境内の御門は閉じられ、立ち入り禁止の貼り紙が貼られ、
神額は外され、至る所にブルーシートが掛けられている状態だそうです。

そのご様子をおあげされているブログがございましたので、
ご参照くださいませ。


〇令和3(2021)年 4月3日付記事
 
児玉神社が封鎖されている件
(出典:ハテナブログ『燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-』より)


残念ながら、境内地は神社所有地では無くなりましたが、
宗教法人としての児玉神社の法人格は無くなったわけではありません。

御神体はどうなされておられるのか、
祭事はなされているのかなどにつきましては、わかりません。

ただ、現在でも公式HPは存在しており、本年3月にお知らせの更新がなされておりまして、どちらで管理されているのかは不明ですが、
神札おふだ・御守・御朱印の授与品を郵送のみではんするご対応がなされております。

境内地の今後につきまして、一関係者の方にお伺いしたところ、
見識あるところは、神社寺院の境内地に新建築物を建設することは、
もの凄く難しいことを知っているので手は出さない。落札者はそういった知識があまりないところなのだろうと申されておりました。

児玉神社境内には、歴代宮司のおく(お墓)があるとのことでしたので、更に開発は難しいだろうとも。

また、江の島住民の結束は固いとのことなので、
分譲地にするとしても住民の反対があるだろうから、
どうにもできないのではないだろうかとおっしゃられておりました。


おわりに

悲しいけれど、これが現実です・・・

神社の御社殿などの建物は、時の為政者や権力者、資産家によって
寄進・寄附がなされて建立された経緯が多いので、時を経てのちのちに
修繕・修復をしようとなると想像を絶する莫大な資金が必要となることになっておりますから、一社での管理・運営のみで資金を賄うことはとてもたいへんなことで、零細神社はなおさら困難事になると存じます。

また、御社殿などが文化財になっていたりするケースも多いので、
神社側の意思によって簡単に修繕・改修することもできないのが現状だったりいたしますので、とても難しい問題でもあるように思っておる次第でございます。


お話は以上です。
ご拝読ありがとうございました。