KAWABATA channel
https://kawabatach.base.shop従来の不動産のイメージにとらわれない物件情報を発信するサイト『KAWABATA channel』を運営、賃貸物件、売買物件の仲介、不動産活用やリノベーションの企画を行う京都一ファンキーな不動産屋「株式会社川端組。」の本屋さんだよ。
僕の友達が書いた本や僕が面白いなと思った本を販売しております。
ウェブサイト:https://kawabata-channel.com/
イマジン。
京都一ファンキーな不動産屋のほとばしる不動産愛が生んだ珠玉の“物件紹介ポエム”集。
僕が今まで、世の中に放ち続けて来た渾身の物件紹介文のみをまとめた本。
今は見られなくなった、僕が京都トンガリエステート時代に書いた初期衝動的なモノを中心に、KAWABATA channelに掲載してる現在進行形の僕が書いたモノも少し。
僕が物件を見て、感じた事を想いを込めて、文章にしてる。
僕というフィルターで物件の魅力を濁らせないように。
物件の魅力をありのままに伝えられるように。
そう、ラブレターを書くように。
そうして生み出された文章を読んでもらって、読んでくださった皆様に物件そのものを想像してもらう。
タイトルは「イマジン。」
みんなが想像してくれる事で、不動産に関心を持つ人や不動産を楽しんでくれる人が増えてくれるんじゃねえかと思ってるから。
僕がね、やりたい事は、そういう事です。
アゴリタおじさんの幸せのタネ
「日々のなかに隠れている人生の“きっかけ”」
人里離れた村で一人寂しく暮らす捻くれた性格のアゴリタおじさんがひょんなことをきっかけに友達や家族のあたたかさに触れながら、人生の歩み方を見直していく物語。日々の暮らしは同じことの連続のように見えて、些細なことがきっかけとなり新しい人生がスタートすることがあります。この絵本はそんなどこに転がっているか分からない人生の“きっかけ”を花のタネに例えて制作しました。
前作「LIFE OF MR.DONK」から一年...イラストレーターDANSONが描く子どもから大人まで楽しめる一冊!ぜひご覧下さい★
★アゴリタおじさんの幸せのタネ★
A4サイズ(横)24ページ
カラー版.(コート紙マット仕上げ)
¥1,800(税込)
小屋の本 霧のまち亀岡からみる風景
京都府中西部に位置する亀岡は晩秋から早春にかけて深い霧が発生する。 そんな霧のまち亀岡の風景を象徴する「農機具小屋」をリサーチした本が完成。
立地、構造、素材の経年劣化、工夫、生活感、、小屋にはそれぞれの表情と営みがあります。
地元・アート・建築・コミュニティの目線を持ったリサーチチームで巡った300以上の小屋の中から見応えのあるものを厳選し、著者それぞれの視点で小屋の魅力を紹介します。
※開いて立てると一寸勾配の切妻型の小屋になります。
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発行日:2020年6月8日
仕様:四六判 128ページ
著者:辰巳雄基
ヤマサキエイスケ
安川雄基・冨吉美穂(合同会社アトリエカフエ)
編集・写真:辰巳雄基
発行所:一般社団法人 きりぶえ
デザイン:宗幸(UMMM)
協力:かめおか霧の芸術祭実行委員会
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かめおか霧の芸術祭で興味深いプロジェクトが同時進行しており、
有機農家さんと野菜の新しい売り方を模索する屋台プロジェクト「やおやおや」で設計製作をしたり、畑に小屋を建てたり、トークイベントに出させていただいたり、非常勤講師を務める京都芸術大学の授業だったり、一昨年から亀岡にはよく出入りしています。
そんななか、農具小屋が興味深いということに気づいた辰巳くんがリサーチに走り回り始め、仲間に入れてもらいました。
芸術祭を支えるアーティスト辰巳くん、亀岡が地元のヤマサキくん、空間づくりとコトづくり事務所アトリエカフエのそれぞれの目線で、あれは面白いこれは面白いと、趣味の延長のような会話から渾身の本ができあがりました。
小屋は時間が立つと外壁が変わっていたり、なくなっていたり、崩れかけていたり、建て替えられていたり。農家さんのそのときの状況や気候などに左右され、刻々と状況が変わります。
そういった小屋に出会うように亀岡を走り回ったリサーチチームの小屋への愛着がすごく、それぞれの小屋に名前をつけているあたりにも現れています。
農家さんの性格や工夫、スキルや愛情、その場所の使われ方など、話を聞かなくても見えてくるいろんな情景が亀岡らしさを物語り、小屋のある風景からディテールまで、それぞれの小屋には見所が満載です。
作ること、知恵や工夫、ブリコラージュ、アート、、いろんな切り口で解くことができると思いますが、今回は貴重な小屋との出会いを尊重し、思うことをそのまま伝えるように書きました。
まとまりがないかもしれませんが、読者のみなさんにも写真からいろんな気づきがあり、我々と違った見方で楽しめること間違いなしです。
ぜひぜひ手にとってお楽しみください。
シンカイ STORY BOOK
長野市・善光寺近くに佇む謎のお店〈やってこ!シンカイ〉
ローカル/コミュニティ/古民家改装/教育/小売り/風土/友達経済…
長野県知事、連続起業家、本屋やアパレルの社長から大学生まで
全国から人が集まって「新たな出会い」を生む価値は何なのか?
一口には語れない21世紀の新たな「場づくり」を凝縮した自費出版本
\やってこ!/
A6サイズ(文庫本サイズ)/全226頁
【目次】
◆対談1 長野県知事・阿部守一さん×〈やってこ!イン回〉徳谷柿次郎 教育県・長野で〈やってこ!シンカイ〉が果たす役割とは
◆対談2 実業家・家入一真さん×編集者・徳谷柿次郎 何者でもない自分でいられる場所。「アジール」としてのシンカイの価値
◆対談3 〈かもめブックス〉柳下恭平さん×〈ALL YOURS〉木村昌史さん 本屋と洋服店を営む二人に訊く「場が生む価値とは」
◆2011年から2018 年までのシンカイ 白石雄大と小林隆史とゴンちゃん 男3人と愉快な仲間たちから始まった「シンカイという暮らし」
◆対談4 〈シンカイ〉小林隆史×〈やってこ!シンカイ〉徳谷柿次郎 「みんなが集まる家」から「みんなが集まるお店」へ変わった交差点
◆ 記憶となる記録「シンカイ金物店の法被」
◆「柿次郎放浪記 2016-2018」
◆対談5 〈Backpackers’Japan〉石崎嵩人さん×徳谷柿次郎×小林隆史 「あらゆる境界線を越えて、人々が集える場所を」〈Backpackers’Japan〉石崎嵩人さんから見たシンカイという場
◆だれ得!? シンカイ人物図鑑
◆対談6 〈やってこ!シンカイ〉徳谷柿次郎×店長・ナカノヒトミ「いつか『シンカイ』で子育てしたい」しなやかな成長を遂げる店長ナカノの奮闘記
◆シンカイ金物店 建築図怪!?
◆対談7 〈ネオンホール〉〈ナノグラフィカ〉清水隆史さん×小林隆史 1990年台からの善光寺門前界隈の変遷
◆対談8 〈やってこ!シンカイ〉大家・新貝和雄さん×店長・ナカノヒトミ この街に愛されてきた〈シンカイ金物店〉のヒミツ
◆YATTEKO! PHOTO GALLERY
◆〈やってこ!シンカイ〉が古着屋に! 長野県立大学の学生3人による新たな船出
◆ナカノヒトミ・ポートレート
◆〈やってこ!シンカイ〉マストバイ・アイテム特集
◆柿次郎コラム「店舗運営を一年やってみた結果」
◆記憶の町並み
Micro Happening no-mu
京都府亀岡市に位置するno-muで隔年で開催されているアーティストインレジデンスプログラム“Micro Happening”のフォトアーカイブブック。この期間no-muでは世界8ヶ国、10都市からからアーティストを中心にシェフ、建築家、日本学研究者、起業家など様々なジャンルの文化人11名を招き、共同生活をする中で郊外における様々な問題に目を向け、アートの力によってイノベーションを生み出すための社会実験を試みた数ヶ月間の記録を写真を中心にと滞在者たちの言葉でまとめた一冊。
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発行日:2020年1月11日
仕様:A4 変形サイズ 120ページ
編集:田中英行
写真:山口 卓也
翻訳:AO
デザイン:山口 卓也、牧田亜希
言語:英語
発行所:no-mu
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3年前に自分が生まれ育った家で小さな宿”no-mu”をはじめた。両親が遠い山村へと移住し農業とカフェを始めたのだ。新生活を存分に謳歌している両親にとって地元の家は小さな悩みの種であり実家は数年空き家となっていたが、私が海外からアーティストとしての生活を半ば断念し地元に戻ってきたことがきっかけとなった。幼い頃の記憶においてここは居心地の良い場所ではなく、曽祖母から呪文のように聞かされていた600年この地に続く祖先の話は私をひどく憂鬱にさせるものであった。”no-mu”は濃霧という言葉の音からとった、このまちは秋から春にかけてひどい霧に包まれる、霧は私にとって故郷の記憶のシンンボルであり、イマジネーションの根源となっている。
宿をオープンし客人を迎えるとこれまでとは違った日々が始まった。いつもは無口なおばさんが客人を宿に案内し、犬の散歩をしている無愛想なおじさんは辿々しい英語で嬉しそうに話し、若者は駅から道案内人として強引に連れられ、不意の見知らぬご近所さんからの着信、警察官と一緒にやってくる客人や知らないお店で地元のおじさんと呑み明かす客人。小さな町でありながらも私は結ぶ事のなかった様々な関係性を客人達は軽やかに、時には乱暴にこの”no-mu”へと結び始めた。
故郷における”no-mu”と稀人の間で自然発生的に生み出されるささやかな”ハプニング”は、私にとって芸術と日常の垣根をなくし、より根源的な人間の生へと私を誘い、本質的な芸術の意味とその未来のあり方はこういったカタチに変容して行くべきなんだろうと考えさせた。アーティストの作品に作品らしさは不要であり、偶発的に日々新しい出来事と関係性を発生させる装置としての宿”no-mu”は日本における現代の「まれびと信仰」のように異界から”カミ”として異人を招き、小さな世界の変容を促し、さらには私の作品に対する執着心を解きほぐしていった。