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日光道中・奥州道中 その4「賑わいの道を見つめた一里塚 賑わいの町のどこかに一狸塚(蔵前~浅草)」

 蔵前から浅草に向かい、日光道中をさらに進みます。
 そして、ここでお目にかかりました♪

縁起物と肩を並べて ぽ~ん♪
たぬきさんも、縁起物の化けたりするぽ~ん♪
ときにはニンゲンに化けて、酒場で一杯やったりするぽこ~♪

 「蔵前神社」の鳥居が見えたので、一息つきがてら立ち寄ります。

 

境内の案内板
たぬきさんではないので、葉っぱを載せても簡単にニンゲンにはなれず、人の姿になるためには、満願かなうほどの信心が必要なのです・・・(適当)
ニンゲンになりたい生き物?
でも、ニンゲンになってしまうのは、よした方が・・・。

ほら・・・ニンゲンなんかになるから、こんな重荷を負い続ける羽目に。。
(注 この絵姿と「元犬」は、まったく関係ありません
たまたま同じ境内にあっただけです。)

 

 あまり変な設定をつくって遊びすぎずに、きちんと道中安全を祈って街道に戻りましょう。
 案内板によると、徳川綱吉の元禄時代に、京都と大阪を結ぶ「京街道」にも近い「石清水八幡宮」が勧請された神社で、江戸城の鬼門除けの役割や、江戸の名力士たちによる相撲が催されるなどの賑わいをみせたそうです。

 街道に戻り、右手には「厩(うまや)橋」「駒形橋」といった、隅田川にかかる橋へと続く交差点をわたって進みます。

厩橋。現在の橋は関東大震災後の昭和4年に完成。
かつては「お厩の渡し」の渡船で川を行き来した場所。
明治時代に最初の橋が架けられたそうです。


駒形橋。今の橋は関東大震災後の昭和2年に完成。

 そして、駒形橋の名前の由来(橋がつくられるまでは「駒形の渡し」渡船があった)といわれる「駒形堂」にさしかかります。
 

駒形堂
駒形堂の説明版

 駒形堂の交差点から、今の国道は隅田川に並行するように浅草駅方面に向かいますが、かつての日光道中は、駒形堂から雷門の前へと進む道筋だったとされています。
 そして、雷門の前で右折して浅草駅へと向かいます。

 街道歩きで、思いがけずに「有名観光地」に差し掛かると、「ここも街道だったのか!」と、毎回感心してしまいます。
 雷門へと正面から向かう道、雷門を正面から眺めたり記念写真を撮ったり、食べ歩きをするような観光向けの印象でしたが、五街道に数えられる街道が通っていたと知ったときは驚きました。

 そして、せっかく浅草にたどり着いたので、少し寄り道♪

浅草寺 鎮護堂 ぽ~ん♪
言い伝えによると、明治初年、上野の山に棲んでいた狸たちが、上野戦争による戦火を逃れて浅草に棲みついては寺を荒らしていたが、当時の住職の夢枕に狸が現れたことをきっかけに、伝法院を護る「鎮護堂」として狸が祀られ、その御利益なのか、伝法院や鎮護堂は、関東大震災や戦災による火災を免れたそうです。
浅草 たぬき通り ぽ~ん♪
鎮護堂の言い伝え「上野戦争から逃れた狸が浅草に棲みついた」という設定を元にした「願掛けたぬき」を縁起物とする商店街。
商店街には、「開運たぬき」「人情たぬき」などの狸の置物が並べられています。
ここから顔出しゃ 皆たぬき
ここらで呑もう ぽんぽこと♪

 かつては、雷門の近くの街道沿いに、日本橋から歩いて最初の一里塚があったといわれる浅草(日本橋から約3.92kmほど歩きました)。
 賑やかな町に招かれるように町中に迷い込むと、思いがけずに「一狸塚」を見つけてしまいました(笑)
 狸をめぐって少し寄り道したところで街道に戻り、浅草駅のある交差点へと街道をたどります。

地下商店街の誘惑にも気を付けてね~♪
(今も、商店街はあるのかしら・・・)


 


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