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そこに居ても居なくても(めぐみ)

11月は「ミュージックセレクター」になる!

とかよちゃんが書いていた。



私はその文章に気付かずにいて、全然読んでいなかった。


昨日電話で、

めぐみ先生が見てても、見てなくても、どっちでもいいんです。楽しくなってきたから。


ってかよちゃんが言うのを聞いて、思いがけないほど感動した。

あてにされてないこと…。特に期待もされていないこと…。でも、やっぱりなんとなくどこかに「居る」っていうのをお互いに知ってること。

お化けみたいだ👻

幻影でいいなんて。

気が楽で、ほんのりあたたかい。何より、かよちゃんが一人で立っているのがいい。寄りかからない。

夏にかよちゃんと会った時、一緒に「川でピクニック」というホームページを作ろうと決めた。文章を書きたいけど1人では書いても続かず、日々が流れ、忘れて行く。それはなんだか悔しくて悲しい。だから、その宛先にお互いになれたらいいね、と言って始まった。

1ヶ月に1回か2回ぐらい、手紙を交換する気分だった。

11月にかよちゃんが「ミュージックセレクター」になっていたことを、私は全く知らなかった。

かよちゃんとの電話で私がそれを知ったのは11月16日で、つまりかよちゃんは半月も(ほぼ)毎日文章を書いていたのだった。

1人でも、もうじゅうぶん書き続けてるじゃん!

実はその間、私は家で死んでいたのだけど(たびたび陥る、なんだか思い詰める時期だった)、そんなことは関係なく、かよちゃんは書き、書くことを楽しんでいた。そのことに、なんだかわからないけど私はとても安心したのだった。私がいなくても、かよちゃん(人々)は生きていて、生活をして、楽しみを見つけたり私の知らないことを考えたりしている。同時に、私(めぐみ先生)は居て、それは居ないってこととはやっぱり違う。私がいてもいなくても同じで、違う。それは同じぐらい事実で、同時に存在している。

私は普通にしていればいいんだなと思った。

なんか元気出てきた。

かよちゃんののまねをして、私も11月は何かになろうと思う。

まず、(ほぼ)毎日ちょっとずつ書こうかな。


20:00にかよちゃんと電話するために、早く帰ってかぼちゃを煮て食べました。そういう約束がとてもありがたかった🎃

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