「そうか、もう君は、いないのか」──友を失うということ。
城山三郎さんの本のタイトルではありますが、いまの私の心情にぴったりの言葉です。
あれ?いないんだっけ?何でだよ。
康ちゃんはカメラマンだよ、私ライティングするから。。
…そんなやり取りも、もうできないのか。
3月11日という、生涯忘れることのない日に旅立った、親友の康ちゃん。2016年に大腸がんが見つかってから闘病を続けていましたが、享年52歳の若さで永眠してしまいました。
ここ数年は病気と闘いながらも、ごく一部の人にしかそれを伝えず、製甲のミシンと一眼レフとに、真摯に向き合う日々を続けていました。
四半世紀をともに生きた業界内の最高の友人であり、どこか兄弟のようでもありました。私の結婚式には、彼女にスピーチをお願いもしたっけ。
本人は話しながら手元のメモ書きのページがわからなくなり、「あれ…?5番はどこだ?」と必死でひっくり返していたのを、二人で笑ってたっけな。
延期続きだった「康 澤民さんを偲ぶ会」がようやく開催できたのは、今月7月10日の土曜日。
当日は梅雨の長雨の合間に、奇跡的なピーカンをもたらしてくれ、おまけに翌々日からは緊急事態宣言が再発出されるというギリギリのタイミング。
「いやー、康さん持ってるねー」「晴れ女っぷりをこんな所にも発揮!」など、メンバーは口々にささやきました。
久しぶりに再会したメンバーは、自然と彼女の話をすることで、結びついていきました。
きっとそんな場が生まれることも、彼女は信じて託してくれていたんだろうなぁ。
私が最初に彼女と出会ったのは、1995年の夏。
様々なジャンルの人が集まる靴業界の納涼会で、たまたま向かいに座っていました。私はまだ店舗取材やブランドのライティングを始めたばかりで、業界の右も左もよくわからない頃。
彼女は私が初めて出会った「靴職人」でした。“会社に属せず独り立ち、それも同い年”という、腕一本で仕事をこなす様を目の当たりにした時の衝撃は、今振り返っても強烈でした。製品の納品にはスポーツカーを乗りこなし、スッとした香水をいつも付けていたっけ。
確か、その衝撃をそのまま前職の情報誌で、一気呵成に記事として書き上げた記憶もあります。
20歳そこそこで製甲職人として独立した女性は、当時は先輩たちの腕を見ては彼女は若い時分から、靴業界のスーパー製甲職人として、様々なものづくりの方に影響を与えてきました。
私たちがこの業界に入った90年代は、20代そこそこの女性がひとり製甲職人として独り立ちするなど、とても考えられない時代。今のようにものづくりの学校もなく、彼女は一番上手い職人の技術を、ただひたすら見て真似て腕を磨いていたと聞きます。
彼女の工房で、革に“刻み”を入れるところを見せてもらいましたが、目にもとまらぬ革包丁さばきの速さ。「自分でも日本一早いと思ってるよ(笑)」と笑う康さん。でも冗談のような本気のような、今から思えばすでに彼女の技術は日本一だったかもしれません。
そしてちょうど10年ほど前の、「facebook」などのSNSが仕事に活用されはじめた時期。
私の前職場でSNS講座が開催され、「興味ある!」というので参加してもらうことに。そこから自分でアカウントを立ち上げ、あっという間にfacebookの達人に。「これは世界とつながれるツールなんだよ」と話すと、「よしっ、世界の人に見てもらいたい!」と、積極的に製甲の写真を撮影しアップして、文字通り世界中の職人仲間を作っていきました。
その製甲技術がある日、イタリアの靴職人の目に留まります。
facebook経由で知り合った靴職人が声をかけ、初の海外出張が叶うことに。「生まれて初めての海外がフィレンツェの靴工房なんだ。英語わからないけど何とかなるよね」と、嬉しそうに話していたのを記憶しています。すげー度胸だなー、とはいえ大丈夫かなぁ。
外野は色々言いつつも、本人はいたってニュートラル。イタリアの工房を見学して、おまけに仕事までして帰ってきました。メンバーで映った素敵な笑顔の写真を見せてもらえば旅の充実は推して知るべし。あとの活躍は、皆さんの知るところでもあります。
実は私たちも、HPのリニューアルを機に、2020年夏にB.A.G. Numberの二人のプロフィール写真を撮ってもらいました。思い返せば、本当に意義深い写真になりました。
『At-Random by B.A.G.Number 』わたしたちについて
また、康さんが開催されていた「マイカメラとお友達になるワークショップ」は、彼女が積極的に一眼レフカメラの面白さを伝えていた講座でした。
私も一度取材のために参加して、ようやく自分の一眼レフの使い方がわかったという、いくつもの発見があった講座でもありました。
そして今年に入り、効く薬もなくなってきて、徐々に体調は悪化していったそうです。
周りにもあまり話さず、ひとりで病を抱きながら、孤独な闘病生活だったと思います。何か力になることはできなかったのかと、今でも繰り返し思い返します。
亡くなる一週間前に、パートナーの方からご連絡をいただき、痩せてしまった彼女と2回対面することができました。脳への転移が進み、言葉は出ませんでしたが、変わらない彼女の強い目力で、問いかけに「うん、うん」と小さくうなづいてくれたのは、とても嬉しかった。
その時に約束したのが、今回の「偲ぶ会」でした。
きちんとお別れを言えていないお友達や後輩の方などに、これだけの功績をもたらした人に対して、思いを馳せ、偲ぶ機会はぜったい必要だなと。
「あとのことは、私に任せてくれる?」 「・・・うん、うん。」
この会の準備をしながら、彼女との濃く充実していた日々が去来します。
当日、壁に貼られた彼女へのメッセージにも、靴にたずさわる人たちの人生にどれだけ影響を与えてきたのかが伺えて、存在の大きさを物語っていました。どれもこれもぐっとくる言葉たち。
おひとりおひとりの心のなかに、康さんからもらったメッセージや、折に触れてのアドバイス、そして笑顔の数々が浮かんでいるのではないでしょうか。
若すぎる旅立ちではありますが、私も彼女からの数知れないギフトを大切にしつつ、次の世代にも伝えていきたいと思います。
康さん、私たちをつないでくれてありがとう。
またそっちに行ったら、大好きなビールで乾杯しましょう。
合掌
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