父の葬式にて

通夜と葬式の打ち合わせ、家と葬儀場の往復、年老いた親戚の送り迎えなど悲しむ暇が無かった。朝から何も食べていなかったため、母と弟におにぎりを握り、私はカップ焼きそばを食べた。いつ食べれるかわからないし、なんだかんだで腹が減っている。母や弟には「よく父が死んだ後に食べれるね」と言われたが、むしろ今食べておかないと。夜は弟の希望で父の好きな鶏のタタキを備えたいと言われた。このご時世持ち帰りは制限。同級生の店に頼み込み、お供えした。夜は眠れないと言いつつも寝ている母と弟のいびきの合唱で私は眠れず、父の葬儀会場の椅子を並べて2時間ほど寝た。

予測はしていたが、葬式中に母が過換気で倒れた。弟は泣いて泣いて。しかし、最期の挨拶は弟にどうしても全うさせたかった。しっかりしなさいと声をかけ、私1人涙も流さず、冷静な私。内心冷静ではいられないが、こんな時こそ誰かしっかりしていなくてはならないという悲しいサガ。最後の最後で意識が朦朧としながらも花をあげたいという母を片手で支えながら、私は棺に花を投げ入れる。火葬場の車に母を乗せ、弟は写真と位牌を持ち、父がかわいそうで私が棺の蓋を閉めて、運んだ。

火葬場で火をつける時にはさすがに涙がこぼれ落ちたが、母がこれまたフラフラするため車椅子に乗せたりと、もはや、半ばいい加減にしてくれと叫びたかった。母の兄弟がいたため、火を入れる時は母を見てもらった。

骨は意外としっかりしていた。骨壺に入りきらなかった。

脊椎損傷で手足も息も自由にできない父。痛みもコントロールできず、辛かった父。ようやく休めたと思う。そして天国で自由に大好きな車やバイクに乗っていると信じたい。

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