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「買うこと」のこれから


買うことの半世紀

(この記事と一緒に、”「売ること」のこれから”もお読みください。)

ずっと以前、経済成長や未来への期待が感じられていた時代において、買い物にはワクワク感があり、モノを買うこと自体が目的化されていました。テレビや新聞などのマスメディアから発信される“ステキな暮らし”を夢見ながら、働いて得た対価で買ったモノで生活を豊かに・便利にしていくことを目指していました。「一億総中流」という言葉も生まれた時代の“買う”を図にするとこうなります。

かつての「買う」の構図

その後、日本社会の豊かさは80年代後半から90年代にかけて一定の水準に到達しました。チェーンストアやショッピングモール、ブランドのファスト化などによって、モノを買うことに含まれる他者優位(私にしか買えない)という希少性は逓減し、いつでもどこでも同じモノが買える“同質的”な世界が実現していきました。

しかし、その構造はインターネットによる情報の氾濫によって塗り変えられました。パソコンやスマホといったパーソナルなデバイスから得られる情報の多様さは、マスメディア主導による同質的価値観(判りやすく言えば「お茶の間」)の世界を壊していきました。

マスではなく、“個”の価値観が確かに存在することが分かり始め、同時にその多様性が認められていく新しい社会への期待や可能性が生まれていきました。YouTubeに代表されるセルフメディアの台頭は、個の露出をさらに後押し、発信も受信も自由でオープンなこととなり、世界は表面的にフラットになっていきました。

社会がデジタル化していく中、テクノロジーの進化によって買い物の利便性・効率性が高まることで、買い物という行為そのものがコモディティ化していきました。買うという行為の特別性とありがたさが希薄になっていったのです。図にするとこうなります。

「買う」ありがたみの希薄化

さらに、近年のコロナ禍が人と人とのコミュニケーションの在り方に急激な変化を強制したことで、「買い物のデジタル化」は一気に加速しました。


ECサイトでモノを買う機会は定着し、対面することは“避けるべきこと”といった状況下ではリアルなイベントやプロモーションの存在意義は揺らぎ、補助的な位置づけであったリモート会議やメタバースなど、オンライン=ネット上でのコミュニケーションが当たり前の環境になりました。

「買うこと」のこれから

コロナ禍と共生していく術が見え始めた現在、“買う”はさらなる変化をしていきます。その行為自体が目的であり希少であった時代から、利便性や効率性を重視したコモディティ化を経て、「かいもの」は、動詞的である「かうこと」へと進化していきます。

その進化のヒント(むしろ“原点回帰”なのかもしれません)は、昭和の時代にあります。既に知らない世代が多いかもしれませんが町の商店街にあった八百屋さんや魚屋さん等との何気ない会話(そこには食材の調理法や背景、産地の情報などがありました)にこそ、これからの“買う”の本質が含まれています。

コロナ禍は「買い物」から失われてしまったリアルな体験やダイレクトな対話の価値を再認識させてくれました。新しい発見をするためにお店に赴き、専門家の目利きによる力強い推奨、店頭での立ち話、同好のコミュニティの存在など「ものを買う」という行為に見えない形で付随している、「ひとが持つ様々な価値」です。
図にするとこうなります。

「買う」ことの価値づくり

昭和の商店街の買い物のように、ものを手に入れること以外にも価値を感じ、“買うこと”自体にお金を払っているのです。結局のところ、デジタルが発達しようとも「かいもの」の核にあるのは「ひと」であり、コロナ禍は人と人とのコミュニケーションにしかない根源的価値を思い出させてくれたのだと思います。

ここに、「デジタル化」を加えることで昭和の時代のような買い物を21世紀の形で実現できるようになります。たとえば、ある商品のパッケージにスマホを向けるだけで、その商品の産地や製造工程についてのこだわり、他のユーザーからの声などを簡潔に伝えることができます。

すると、ただ値段の高い安いではなく、その商品の周りにある要素や社会的な意義も含めた「価値でものを買う」選択が行いやすくなります。具体的な例として、「アニマルウェルフェア(動物福祉)」という言葉と仕組みがあります。

家畜にストレスを可能な限り与えない飼育方法(鶏をケージに押し込めずに平飼いする等)に基づく商品であることを示すことで、私達は「ものを買う」ことを通じて動物愛護に関わることができ、企業は収益性を高めることができます。

私達人類には、「間接互恵性」という性質があります。自分ひとりだけの得を追求するのではなく、誰かを助けたり、誰かの得(恵み)になったりすることをお互いに行える性質のことです。この性質が社会をつくり、社会があることが市場という、もの売ること・買うことを実現する場を成立させています。

エシカル消費や応援消費のような行動も、買いものを通じて「ひと」の役に立ちたいという想いから、背景や未来へのストーリーまでを含めて“買っている”のです。そういう意味でこれからの購買行動は、モノ消費、コト消費ではなく、ヒトを軸にした消費となり、そして、ただ消費するのではなく、買い手も社会に何かを生み出していく時代なのだと感じています。

「買う」ことの価値の社会性

モノが売れない情勢においては、この「かうことのよろこび」を増やしていくことこそが、日常のワクワク感や身近な幸せにつながり、先行きの見えにくい世界を乗り越えていく原動力になるのかもしれません。

KAUKOTO.jpでは、身近な幸せを増やすための「かうこと」のこれからを考えていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。


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