時々遠くへ
思い立ったたら吉日とは言ったもので
思うがまま会社員ながら年に3回くらいは旅行へ出かけていた。
なんとなくの思い出で、印象に残っていた旅について振り返ろうと思う。
旅の区切りはエストニア
20代から30代のうちに絶対に行くと決めた国。
それがエストニアだった。
美しい街並み、中世ヨーロッパの面影を残す国、そこは多分エストニア以外にもたくさんある。
でも何故か、私にとって憧れの地はエストニア以外なかった。
そして念願叶った2016年の年末。
ついにバルト三国へ私は行けた。
想像以上に美しい街並み、ヨーロッパ特有の景色。
ヨーロッパでも田舎の方らしく、少し安い物価。
クリスマスマーケットへいき、知らない人と拙い英語で話したりした。
自分の旅を終えてもいい、そう思えるくらい素敵な国だった。
人生を迷い到達したモンゴル
仕事をしていく上で、ゲーム開発者という職業柄ネットの掲示板やSNSで叩かれることはよくある。
ある時は開発してあるタイトルだったり、スタッフロールから見つけた個人名であったり。
当時大規模ゲームの開発者だった事もおり、個人名でないものの所属したチームが私をふくめ2人しかおらずめちゃくちゃ叩かれた。
正確には1人しかおらず叩かれているリーダーのヘイトを減らすためにアサインされた。
やる事なす事、一挙一動すべてにわたって細かく揚げ足を取られ、叩かれる。
もちろん反論してくれる人もできたが、それでも批判する人の声は強く大きい。
そんな状況下において、私はすっかり参ってしまい人生の迷子になった。
どこか遠くへ行きたくて、やつれ始めた私を見たリーダーが早めのGWをくれた。
ネットも繋がらない、ともすれば寒すぎて死にそうなモンゴルの地で
明日を生きるために様々な物を(靴下、軍手、食べ残した物etc)燃やして、そこで気づいた。
匿名の世界でしか物が言えない人に負ける謂れは無い、そう確信し人生の迷子から脱却できた。
人生初参加の結婚式はシンガポール
当時いた会社の同僚がシンガポールの人だった。
その縁もあり、結婚式に呼ばれた。
その時私は22歳で、人生で初めての結婚式の招待だった、
そして困ったことが2つ。
祝儀袋と御祝儀である。
渡された紹介状は、黒と赤で文字は金色。
どうも向こうの国では赤色や金色が縁起物らしく、白はそうではないらしかった。
次に日本では御祝儀は奇数が縁起いいとされるが、向こうは偶数でありシンガポールドルだ。
いくらくらいの相場か分からない。
2009年頃の出来事でスマホもない時代で、調べても分からなかった。
とはいえ祝儀袋は用意しなければならない。
桜が描かれた和風でピンク色の祝儀袋を用意し、
8が縁起いいと聞いたこともあり、180ドルを包んだ。多分少なかったと思う。
置いていかれた台湾
台湾に行った時、夜市へ連れて行って貰った。
もちろんツアーで参加しているのでバスで、だ。
時間より少し前に戻ってみると、何故かバスが無い。
よく見ると既に発車してあた。
どうもカウントのミスがあったらしく、私と友達は夜の台湾で放置されてしまった。
仕方ないので電車でホテルまで帰る羽目になった。
未だに忘れられない出来事だ。
たまたまお昼のフリー時間に最寄りの駅をみつけ、買い方がわかったから良かったものの
夜の外国に取り残されるのはさすがに不安だった。
これまで色々な国や場所へ赴くがまま行ってきた。
もちろんお金も掛かったけれど、後悔は全くない。
貯金も大切だけれど、若い時にしか行けない国はたくさんある。
今度はどこへ行こう、今もそんなことを考えながら子が育つのを待ち、コロナが収まるのを待っている。
子育てが終わった時、私はまたきっと旅に出る。
写真はイタリアのカフェ。
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